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ビジネスと人生において「独立」を志す話

みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。

今回は「独立」についてのお話をしてみようと思います。

私事ですが、近い将来会社員を辞めて、自分でビジネスを持とうと考えています。
そして「独立」という表現については、ビジネス的な意味合いを超えて、もっと人間的な部分での考えがあります。

会社に属していても、個人の生活は約束されない

私はいま双子の男の子を育てています。 現在5歳で、保育園に通っています。

もともと私は27歳くらいまで、俳優を目指してフリーターをしていました。
バイト先で出会った女の子が今の妻で、いわゆる「できちゃった婚」というやつなのですが、当時、私はフリーターで妻は大学生でした。

お金もないし、新型コロナウイルス流行の真っただ中で、仕事もみつからないような状態でした。

そんなときに気づいたのは、「会社に属していても、個人の生活が約束されているわけではないんだ」ということでした。

社会が混乱すると、お金の価値は下がり、モノの価値がグン!と上がります。
当時はマスクが3000円とかで売られたりしていて、「枠の中にいても守られるとは限らない」ということを肌で感じました。

この経験が、私の独立への考え方の出発点になっています。

独立とはなんだろうか?

一般的に「独立」とは、他からの支配や束縛を受けず、自分の力で行動・生計を立てることです。
ビジネスの文脈では、個人事業主やフリーランスになる働き方を指します。

ただ私にとって特に重要なのは、「自分の力で行動・生計を立てること」という部分です。

これはたとえば「仕事がなくなったとき自分で家族の分も食べ物を調達することができるか」みたいなことで、文章を書くスキルとかエクセルとかそんな話ではなく、人間としての生存力を高めていくことだと思っています。

そしてもう一つ。

子どもをどこかに預けて会社に行って、毎日疲れて帰ってきて、翌日の仕事のためにまた眠る。
子どもとしっかり向き合えるのは土日などの休みだけ。

「これが普通だ」と言われればそうかもしれないのですが、これが人として生きる上で適切な形だとはどうしても思えないんですよね。

人として生きること

私たちはお金を払うことによって、大体のモノを手に入れています。
動物のお肉を当たり前に食べているし、自分では考えもつかないような技術を当たり前のように使っています。

野菜は誰かがつくったものだし、スーパーに陳列されているお肉はもともとは生きていたわけです。
誰かがその役割を担ってくれているから、私たちはそれらを当たり前のように手にすることができている。

そんな自分の現状を省みると「なんだかずるい生き方だよなあ」と思うんです。

誰だって、鳥や牛や豚を殺したいとは思わないじゃないですか。
さらにいうと、鳥や牛や豚も人に食べられるために殺されたいとは思わないはずです。

そんな大変なことを誰かにさせて 誰かに用意してもらった仕事をこなして 「お金」と「結果」だけを交換して 自分の子どもに対して何を教えてあげられるんだろう?

なんてことを思うんです。

子どもに伝えたいこと

私は普段から、毎日楽しそうに仕事に行っている実感がありません。
きっと息子たちからしても「パパにとって仕事は嫌なものなんだろう」という意識を刷り込んでしまっていると思います。

でも、悪いのは仕事ではなく、私の生き方なのかな?と思ったんですよね。

私が心から楽しめることを仕事にできたなら、きっと子どもたちも仕事が楽しみになるはずで。
食べ物を作る方法も、土の中にある循環も、お金の価値が変動することも、全部自分の手と目で体験しながら伝えていきたい。

生き物が生きるために、本質的にはお金を必要とはしないんですよね。
もっと直に自分の命と向き合うべきだし、もっと純粋に人生を楽しむべきだと思ったという話です。

まとめ

会社という枠の中にいる限り、「枠内で許容されるお金と時間」しか手元には残りません。
これはシステムに身を委ねることのコストで、現状に満足できていないのなら、自分で満足できる状況を作り出すしかないんだろうと思っています。

仕事のありかたも、命のありかたも、全部自分自身の生き方に集約されるものだと思います。

なので、私はもっと本質的に独立をしたいと思いました。
ビジネス面での独立は、そのための第一歩です。

「独立」については少し独特な考え方かもしれませんが、お金云々よりも生き方の話だと思っているので、楽しみながら頑張っていきたいと思っています。

この記事がだれかの参考になれば幸い。
それではまた。

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