
みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。
今回は私が定期的?に考える「生と死」について書いていきたいと思います。
私には二人の息子と妻がいるのですが、この「家族」の存在が私を「強くも弱くもさせているな」と感じることがあって、「死に対する恐れに向き合うきっかけ」になったんですよね。
死ぬのが怖くなかった

私は独身時代、特に死ぬことが怖くはありませんでした。
ここは誤解の無いように補足しておきたいのですが、痛いのは嫌ですし、苦しむのも嫌だけど、死ぬこと自体は怖くないという感じです。
わかりやすく言うと、スイッチを押すだけで苦しみも痛みもなく死ぬことができるのなら、別に怖くはないという感じです。
(まあ、そんなことは大体においてないとは思いますが。)
なんというか、この世に未練がないというか。
ある日急に、「君は明日には死んでるよ」と死神に言われたところで、「こういうもんか」と処理できそうな感覚だったんですよね。
でも、その感覚が子どもが産まれてからガラッと変わってしまいました。
子どもという存在

子どもが産まれてから、子どもは私の生きる意味になってしまったんですよね。
仕事を頑張る理由も、強くなりたいと思う理由も、もっと成長したいと思う理由も。
ぜーんぶ子どもに集約されてしまったんです。
これは私にとっては、ある意味恐ろしいことでした。
それまでは特にこだわりもなく、流れに身を任せるように生きられたのに、今では「なんとかしないと」という感覚が常に頭の中を占めているんです。
とはいえ、これはネガティブな意味ではなくて、私にとっては良い変化でした。
日々の生活の中に「子どもの成長」があるだけで、こんなにも毎日が楽しくなるのか。
子どもが、家族が笑って幸せそうにしてくれる姿をみるだけで、こんなにも心が満たされるものなのか。
そんな風に感じたんです。
これは独身時代には全くなかった感覚で、「誰かのために生きるというのはこういうことか!」というのを感覚的に理解した瞬間でした。
家族の存在が自分を強く、そして弱くする。

子どもができてから、私の人生には一つの活力がみなぎってきました。
「この子たちのためになにができるだろう」
「この子(妻)たちに笑顔で過ごしてもらうためにはどうしたらいいのだろう」
「私にできることはなにか」
「なにをすれば、自分含め、家族が幸せに暮らしていける…?」
そんな考えが、毎日押し寄せてきては、身体全体で応えていくような毎日です。
今までなら絶対にやらなかったことにも挑戦することができるようになりました。
しかし、同時に家族を失う瞬間のことが怖くなっている自分もいるのです。
「もし、自分がいなくなってしまったら、家族はどうなるのだろう?」
そんな言葉がたまに頭をよぎります。
私はなるべく常に「自分」と「死」をつなげて生きるように心がけているのですが、今までになかった恐怖のような感情が湧いてくるのを感じるようになったのです。
もし、家族が危険にさらされたなら。
私は冷静さを失って、正確な判断ができなくなるのではないかということもよく感じます。
私の中には「自分の考えと行動を信じる」という、ある種の強さがあると自覚しているのですが、その強さが揺らいでしまう可能性を確かに感じているんです。
恐怖の感情を受け容れる

とはいえ、人の死なんてものは予想がつかないわけで。
明日には私はこの世にはいない可能性だってあるわけです。
それはもう、仕方のないことで、偶然・突発の事故なんかが起きてしまったらどうしようもないんですよね。
で、私は「その上でどう生きるのか」が大事だと思ってるんですが、究極のところ「感謝をしながら生きるしかない」と思うんですよね。(唐突に意味がわからないかもしれませんが)
生きたという実感

これは極論ですが「いつ死んでも良いように生きる」ことが大事なんだなと思うんです。
それは「後悔の無いように生きる」と同義なんですが、これって漠然としすぎていて難しいですよね。
たとえば「死ぬまでにスカイダイビングをしたい!」と思っている人がいて、「じゃあ、明日スカイダイビングしに行くのか」と聞かれるとちょっと方向性がズレてしまうとも感じるわけです。
仮にスカイダイビングにいって、「そのまま死んでしまったとしても後悔はないか」みたいなことが言いたいんですが。
私は「自分が死ぬその瞬間に心残りになることって何だろう?」ということをよく考えます。
きっとそれは「自分自身が生きたという実感」を得られるかどうかだと思うんですよね。
たとえば、
・誰かに愛された実感があるか
・大切にしたいと思える人や出来事があったか
・同じ人生を生きたいと思えるほど、真剣に生きられたか
というようなことで、これらを考えたときに「感謝して生きるしかねえな」ということを思ったんです。
上記の3項目は、自分自身が生きたという実感を受け取るための、ほんの一部の要素でしかないんですが、これらを得るためには感謝が最強なんですよね。
感謝をしながら生きる

誰かに愛されようと思うと、自分が愛を知っていないといけない。
つまりは、誰かを自分なりにでも愛してみないと「愛」がわからないわけです。
この感覚は、感謝と直結する部分があると思っていて、誰かに感謝をすることで、その感謝が自分に還ってくるという感覚に近いと考えています。
感謝という感情は、自分の感覚と目の前に発生する出来事に対して真摯に向き合い、多面的に物事を考えられるようになったときに広がっていく感覚だと考えています。
つまりは、[誰かのために=自分のため]の方程式を、心の底から感じることができるかどうかなんですよね。
そして、その実感を相手に伝えるためのことばが「ありがとう」とか感謝のことばなんだと思っています。
かなり飛んだ話になるかもしれませんが、誰かの存在を尊重し感謝することが、自分の存在の尊重につながり、人生全体への感謝に派生していくイメージです。
まとめ
…とまあ、つらつらと理屈を繰り広げていると、着地点が変なところに行ったわけですが(笑)
大切な存在ができると死ぬのが怖くなるんですよね。
これは「失う恐怖」というよりも「残してしまう恐怖」なのかな、と。
でも、その「恐怖」から目を逸らすのではなくて、しっかり向き合うことが大事だと思っています。
死を自分と関係の無いものだとするのではなく、自分事にした上でどうやって生きるかを考えることが大事なのかな?と思うんですよね。
「感謝して生きる」というのは私なりの一つの答えではあるのですが、これも全員に共通する答えではないと思っています。
きっとこの記事を読んでくれた人は、「死」に対する恐怖について考えようとされていることだと思います。
それは、人として生きる上で、とても真剣で、真面目な行為だと私は考えています。
「死」は怖くていいんです。
怖いから考えるし、その対策を取ろうとするんです。
なので、この記事がそんな考える人の参考になれば嬉しいです。
もしよかったらこちらの記事もどうぞ。
それでは素敵な人生を。
