
みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。
今回は、現代人が生き辛く感じてしまう理由についてお話していきたいと思います。
みなさんは「ついつい周りと比べてしまってしんどくなる」という経験は無いですか?
私は最近こそ、そんなこともなくなってきたのですが、「人と比べてどうか」というような価値観で生きていた実感があって、なんとなく生き辛さを感じていたんですよね。
もし、そんな感覚を持っている人がいたら読んでみてほしいです。
私たちは相対性の中に生きている

まず前提の話なんですが、私たちは基本的に相対性の中で生きています。
これは「Aがあるから、Bがある。」というのが前提で、何かが独立して存在するということが、基本的には無いんですよね。
「私」という存在も、「あなた」がいるから成立するわけです。
少しややこしいことを言っているかもしれませんが、「比較」というのが当たり前に存在していて、その感覚の中で生きているというのはなにも不思議なことではないという話です。
「じゃあ、人と自分を比べて生きるのって自然なことなんじゃないの?」
と感じるかもしれませんね。
感覚的には、これは自然なことだと思っています。
しかし、本来私たちは生きていく上で「比較」というものを必要としません。
たとえば、わたしの生活と世界のどこかの大富豪の生活とは、無関係でも問題ないわけです。
さらにいうと、身近な友だちや知り合いとの生活とも、無関係でも問題ないわけです。
なぜ人と比べてしまうのか

私たちが生きていくことに、他人との比較は必要ないということは何となくわかってもらえたかと思うのですが、なぜ私たちは人と比べてしまうのでしょうか。
簡単にいうと、人の状況をのぞき見できる環境(SNSなど)と自分が満たされていない状況を埋めるために、自分にないものを求めるからだと思っています。
さらにいうと、私たちは学校教育や普段の生活の中で「競争」や「比較」の要素を取り入れられてきました。
テストで点数をつけられて、学年における順位を出される。
「私は○○だけど、あなたは○○」という評価をされてきた。
無意識的なものだとは思いますが、そういう教育、あるいは文化の中で育つと、土台の感覚として競争や比較が染み付いていくんですね。
ある意味、大人になってから周りの状況がなんとなくキラキラして見えたり、それに比べて自分がどこか足りていないような感覚になってしまうというのは、変なことではないんです。
でも、しんどいですよね。
自分一人でケーキを食べていれば幸せを味わえるのに、周りの人がみんな自分より豪華なケーキを食べていたら、なんとなく自分が足りていない感覚になってしまうんです。
比較は本来生きるために必要な感覚ではないはずなのに、発生してしまう。
そして、その発生した感覚によってなんとなくしんどくなってしまう。
比較をしてしまう私たちはどうしたらいいんでしょうか。
自分と他人を切り分ける

ポイントは先ほど話題に出した
・人の状況をのぞき見できる環境(SNSなど)
・自分が満たされていない状況を埋めるために、自分にないものを求める
ということにあると考えています。
極端に言ってしまうと、周りのことは気にせず、自分の手の中に在るものから満足を得ることが出来れば、比較の苦しみから抜けることが出来ます。
具体的になにをすればいいのかという話ですが、
・SNSを見る量を減らす、または見ない。
・自分の中に感じる幸福感に意識を向ける練習をする
この二つができれば大きく変わってくるはずです。
大人になってから思うことですが、周りの状況って結構どうでもいいんですよね。
周りのことばかり気にして、自分の人生を生きられないのって辛いじゃないですか。
それなら、いっそのことSNSなんて見ないで、自分を感覚的に満たしてくれるものに触れた方が、人生は有意義になっていきます。
自分の中に感じる幸福感に意識を向ける

みなさんは、自分の中にある幸福感の存在を普段から意識できていますか?
(変な質問ですが…)
今の世の中を見返してみたときに、情報がかなりたくさん流れてきますよね。
先ほど話題にあげたSNSもそうですが、本来見ようと思っていた情報とは全く違う情報が流れてきて、気付いたらそれまで全く意識していなかったものが欲しくなっていることがあります。
また、すこし視点を変えますが、ご飯を食べている時にスマホを触っている人もいます。
この行動が「ダメだ!」と言いたいわけではなくて、スマホをみながら、ご飯の味や風味や触感や身体の中を満たしていく感覚を十分に味わうのって結構難しいと思うんですよね。
食事はある意味、自分の中にある不足を埋める瞬間で、幸福感や満足感を感じられる瞬間だと思っています。
意識を向ける方向が分散されてしまうことで、本来味わえるはずの幸福感を逃してしまっている可能性があるんですよね。
これは、他にもいろんな場面でいうことが出来ます。
人と話している時。
家族と食事をしているとき。
知らないどこかへ出かけたとき。
そこには常に、ほんの少しであっても、自分の感情を揺らす体験があると思うのですが、そういう感覚を逃してしまっていることがあるんです。
私はこれを「感覚の取りこぼし」と呼んでいるのですが、それが増えるたびに、人生がすこしずつ味気ないものになってしまっていると思うんですよね。
SNSとか、なんとなくキラキラしているようなものを、スマホの画面越しに眺めている時間も楽しいものではありますが、それらは大体において、自分の中に渇きや焦りのようなものを生じさせるだけなんですね。
なので、自分の中にある幸福感にしっかり向き合い、感覚をしっかり拾いきることが、比較の苦しみから抜け出すヒントになるというお話でした。
まとめ
なんとなくSNSのネガティブキャンペーンのようなものになってしまいましたが(笑)
私の言いたいことは、それそのものが悪いというより、生活との結びつき方が悪いという感じです。
それをただの楽しみとして割り切れるならいいんですが、それによって自分がなんとなく苦しくなったり、人生が味気なくなっていくのであれば、良いものでは無くなってくるんですよね。
・他人の状況をのぞき見できる環境
・自分が満たされていない状況を埋めるために、自分にないものを求める
大きくはこの二つを意識することができれば、SNS云々は問題ではなくなるので、その視点で考えてみてもらえると嬉しいです。
この記事が誰かの参考になれば幸い。
それでは素敵な人生を。