みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。
今回は日替わりのお題について書いていこうと思います。
ずばり、スピリチュアルについてなんですが、みなさんはスピリチュアルとかって信じるんですかね?(笑)
ちなみに私は結構信じているというか、意思決定の上で結構なウェイトを占めています。
苦手な人も多いと思うので、気になる人は読んでみてください。
わたしにとってのスピリチュアル

まずはスピリチュアルってそもそもなんだ?みたいな話からいきたいと思います。
スピリチュアルとは、精神的な、または霊的な意味合いを持つ言葉で、人生の意味や価値、自己存在の探求、超越的なものへの関心などを指します。具体的には、宗教的な信仰、占いや心霊現象への興味、人生観や価値観、あるいはそれらを通じて得られる精神的な充足感や癒しなども含まれます。
だそうです。
簡単に言うと、目に見えない、形のないものを重視する考え方ですね。
魂とか、精神とかそんなやつです。
幽霊とかもスピリチュアルに分類されるんだと思いますが、わたしは一般的に想像されるような幽霊はあまり信じていません。
でも、目に見えない超常的な現象は信じています。
(ポルターガイストとかですね)
感覚的に「ここは近づかない方が良い」とか「これはやめておこう」みたいな感覚が湧いてくることがあると思いますが、これもある意味ではスピリチュアルだと思っています。
具体的に何故かは説明し辛いけど、感覚的に嫌なものやいいものを感じ取って、行動の指針にしているわけなので、スピリチュアルと言ってもよさそうですよね。
スピリチュアルが持つ意味

私は魂とか精神とか、そんな目に見えないものを探求していくことが好きです。
人は生まれながらにそれぞれの性質をもっていて、同じ環境で育っていても、全く違う人間に育つものだと思っています。
これはきっと「個」がそなえている、精神や魂の違いだと思っているのですが、そういう目に見えない力が働いていると思うんですよね。
(どうです?スピリチュアルでしょう。)
たとえば、人との縁なども自分の精神性によって大きく変わっていくと考えています。
普段から感謝を大切にして、感謝を日々の言動に込めるのか、それとも全く感謝の心を持たず生きるのかでも、人の縁がかわっていくというようなことですね。
「類は友を呼ぶ」みたいな言葉を聞いたことがある思いますが、自分が持つ性質に引き合うようにして、人との関わりも変化していくものだと考えています。
精神性とはすなわち、自分の言動や生き方にも直結するもので、心の奥底で「人を騙してやろう」という気持ちを持って生きていれば、「騙し合いの人生から抜け出すことができない。」みたいな感じですね。
物質性と非物質性の世界

人は基本的に目に見えるものしか信じようとしないですよね。
でも、世の中には非物質性というものが存在します。
それはたとえば「感情」などです。
嬉しいとか悲しいとかは、何かしらの現象(物質性)を体で受け取って、体の中で非物質性をもつ「感情」に変換が成されているのだと思います。
物質性は「人が死んだ」とかの事実を示すんですけど、最終的にその意味を判断するのは目に見えない、非物質性の「感情」だと思います。
世界ではどこかで常に誰かが亡くなっていると思いますが、大体においてはただの現象ですよね。
ニュースで知ったどこかの誰かの死と自分の恋人の死を同列には考えていないと思います。
そして、そこに差をつけているのが、自分の感情だと思います。
結局のところ、人は「自分がどう感じたか」というのを無意識のうちにとても重要視しているはずなのに、スピリチュアルという言葉に置き換わったときに、胡散臭いものだと感じてしまうんですよね。
でも、人間の本質はきっと非物質性にあって、無意識的にそれを重要視しているはずなんです。
私はある意味で、非物質性を認めることが、人生を好転させるためのカギになるかもしれないと思っています。
それは、「宗教を信じろ」とか、「占いを信じなさい」とかそんなことではなくて、自分の感情や精神を肯定しつつ、他人の感情や精神、感覚を肯定するようなことを指します。
嬉しい
悲しい
なんとなくうまくいきそう
なんか嫌な予感がする
感覚に従うことですべてがうまくいくわけではないですが、お金がないと幸せになれないとか、ブランド物のバッグを持っていれば自分の価値が上がるみたいな、周囲の意見・感想を前提にした価値観がスピリチュアルよりも重要視されていることに疑問を感じるんです。
まとめ
ただ実際「スピリチュアル」というと胡散臭いんです(笑)
何故かというと「目に見えない」を良いことに、詐欺とかが多いんですよね。
形に残らないものが多いし、「これを買えば幸せになれます!」みたいなものって、いかにも詐欺っぽいです。
でも、自分の感覚だけは確かだと思っています。
たとえば、100万円の壺を買えば幸せになれます!と言われて、周りの人が何と言おうと、本人がそれによって本当に幸せを感じられたならそれでいいと思うんです。
なにが言いたいかというと、「目に見えないから」とか「スピリチュアルだから」とかで、視野を狭めてしまうのは、自分の可能性を閉ざすことになりかねないということですね。
目に見えないものでも、確かなものはあります。
そういう意味では、私はスピリチュアルは肯定派ですし、むしろとても大切にしている指針でもあるというお話でした。
この記事が誰かの参考になれば幸いです。
それでは素敵な人生を。