未分類

「物欲」と「心の充足」その違いと、人生の豊かさを見つけるヒント

みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。

今回は日替わりのお題について書いていこうと思います。

「すべてを手に入れる」にはどんな意味があるでしょうか ? 実現可能ですか ?

ずばり、すべてを手に入れることの意味と可能性について。
なかなか深いテーマです。

すべてを手に入れるということ

a man hugging a bag of cash money
Photo by RDNE Stock project on Pexels.com

まずは「すべてを手に入れる」ということの意味について考えていこうと思います。
すべてというと、この世のすべてですよね。

お金も他人も地球や宇宙の存在すらもすべて自分のものです。

というか、欲望のすべてを叶えられる状態にあるので「お金」は意味を為さないですよね。
お金はモノやサービスを交換するための手段なので、全てが自分のモノになった時点で必要性が消えます。

そんな状態になった時、私の人生はどうなるのでしょうか。

すべてを手に入れた人生

vip people having fun on a private jet
Photo by RDNE Stock project on Pexels.com

この世のなにもかもが思い通り。
嫌いな人がいれば、目の前から消すこともできるし、自分にとって都合の良いものだけを、自分の身の回りに置くことができる。

でも、「自分のもの」というのは所有権的な話であって、そこに生じる感情や感覚のようなものまではコントロールできないのではないか?と思っています。

例えば、Aさんのことが好きで、「Aさんを所有物として扱うことはできるけど、Aさんがなにを感じるかまではコントロールできない」というような感じですね。

なんとなくですが、すべてを手に入れた先に「お金持ちの嫌われ者」みたいなイメージが湧きました。

なんでも自分のもの。
なんでも自分の思い通りになると思い込んでいる。

でもそれは、自分がそう思い込んでいるだけで、実際のところ「人の心の動き」までは手にすることが出来ないんですよね。
そう思うと、「すべてを手に入れる」ということは可能性として難しいんじゃないかと思います。

本当に欲しいもの

bustling street scene in seoul s historic district
Photo by Khanh Nguyen on Pexels.com

先ほど「お金持ちの嫌われ者」みたいな話をしましたけど、私はそうなりたいとは思いません。
これはつまり、「所有する」ということが、「人生の本質的な目的や幸せにつながるのか」みたいな話になるんだと思います。

例えば、大金やいろいろなモノを持っていて近づいてくる人は、私に興味があるのではなく、お金やモノに興味があるんですよね。

その事実に気付いたときに「自分の存在価値」について、疑問を持ちそうだと感じました。
すべてを手にしていても、それは自分の本質的な価値ではない。

それによっていろんなことを思い通りにできたつもりでも、大半の人に疎まれるような人生は嫌だな、と思いました。
これは人によると思いますが、私はきっと「誰かに必要とされたい」し、「誰かを必要としたい」と感じているんだと思います。

人とのつながりとか、愛とか、物質的には目に見えないものですけど、人や自然や生き物との精神的なつながりを感じられたときに「自分の存在」を確認できるんだろうなと思うんですよね。

まとめ

普段からよく思うことですが、人はないものねだりな生き物なんだと思います。
自分の手の中にないものに幸せを見出して、自分の手の中にあるものに対して幸せを見出すことを忘れてしまいがちです。

なにかを「欲しい」と思っているうちは、常に「欲しい」に苦しめられるのだと思います。
何かを手にした先で、また違う何かが欲しくなる。

自分が満たされていないと感じ続けるのはしんどいですよね。
でも、「自分はこれでいいんだ」と感じられた時に、なにかを得ようとする苦しみから抜け出せるように思います。

この記事が誰かの参考になれば幸いです。

それでは素敵な人生を。

-未分類