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人の個性とは何を基準に形成されるんだろう…?自身を構成する要素を見直すことで、個性を考える話。

みなさんこんにちは。

今回は日替わりのお題について書いてみようと思います。

文のお題 (日替わり)
人の個性は何を基準に形成されると思いますか ?

ずばり個性の形成についてですね。

ここは私の中に割と明確?な考えがあります。
それが正しいかどうかはわかりませんが、人の個性を考える上ではとても大事なことだと思うので、もしよかったら読んでみてください。

人の個性を形成するもの

man connection architecture black
Photo by cottonbro studio on Pexels.com

人の個性が何によって形成されるかという話ですが、わたしは大きく二つの要素があると思っています。

・生まれ持った"精神"
・生まれ育った"環境"

ざっと上記の2つの要素が重要になると思っています。

上記を見ただけでもそれがどういうものかは想像がつくと思いますけど、とりあえず簡単に説明してみようと思います。

生まれ持った"精神"とはなにか

green smoke from pumpkin over person in witch costume
Photo by Ricardo Lima on Pexels.com

ここはスピリチュアルな話になるのですが、人にはそれぞれ生まれ持った精神というものがあると思っています。

私の考え方としては、この世に存在するために"肉体"があって、そこに"精神"が宿るみたいな感じですね。
この精神と言うのはどこからやってくるのか、みたいな話になってくると思うんですが、俗にいう"天国"とか"霊界"というようなところに、質量をもたない精神があってそこから現世に下りてくるんじゃないかな?と思っています。

こういう話になると「胡散くせ~」と思われるかもしれませんね。
人は基本的に「目に見えないものは信じない傾向」があることも知っています。

でも、"音"の存在や、"こころ"の存在は感じますよね。

目には見えないけど、空気の振動によって、自身の内面に影響を与える音。
言葉や音によって、感動したり、怒ったり、悲しんだりすることも経験したことがあると思います。

さらにいうと、"クラウドサービス"なんかも存在として信じていますよね。
それがどんなものかは具体的にはわからないけど、この世界のどこかにデータを置く場所が存在していて、スマホを介して"そこ"とのデータのやり取りができるわけです。

イメージ的にはこんな感じです。
「生きる」ということを通して、確実に自分という存在を構成している"ナニカ"の存在は感じている。
そして、人が生まれたときにそれぞれ違った性質をもっていて、私はそれを”精神”と呼んでいる感じです。

とにかく伝えたいこととして、「人の個性を形成する要素として生まれ持った"精神"があるはずだ。」ということですね。

生まれ育った"環境"

family celebrating hanukkah
Photo by Ksenia Chernaya on Pexels.com

これは言葉から容易に想像ができると思います。
さらにいうと環境とはつまり、「自分の周りにある全て」だと思ってもらえれば間違いが無いかと思います。

たとえば、生まれ育った家庭や、国や、友だちとかも環境に含まれます。
どんな場所で生まれて、どんな場所で何に(物質的にも精神的にも)囲まれて育ったか。

この世に同じ精神があったとしても環境が違えば、それぞれで違った個性が形成されると考えています。

愛のある家庭で育てば、愛を個性に組み込んだ状態で成長ができるだろうし、愛を知らず、暴力や狂気の中で育てばそれは間違いなく個性に影響を与えるはずです。

生まれる環境は基本的には選ぶことが出来ません。
目を覚ました場所が日本であるか、他の国であるか、はたまた両親がいるかどうか、精神的な落ち着きを持っている人のもとなのか。
そんなことは生まれてからじゃないとわからないわけです。(多分…)

でも、人は大人になるにつれて、自分の意思によって選択できる物事の範囲が広がります。
生きる場所も関わる人も、取り入れる情報も選ぶことが出来ます。

これをするかどうか、できるかどうかもまた、それ以降の”個性”の形成に影響していくものだと考えています。

わたしを構成するもの

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Photo by Pixabay on Pexels.com

みなさんは自分自身を構成する要素について考えることがありますか?
私は、よく考えます。
そして、自分の息子たちを構成する要素についても、よく考えます。

自分が普段の生活の中で、なにを見るのか、何をするのか、何を話すのか。
そんな自分の毎日を構成するすべての要素には意味があると思っています。

人は「誰も見ていない」と思って、何かをサボったりしますけど、自分だけはそれをしっかり感じてしまうんですよね。
「あぁ、またサボってしまった…」みたいな感じです。
別にそこに対してなにも感じなければ問題はないんですが、仮にその後何かしらのミスをしたとしたら、その「サボってしまったこと」に想いを馳せることになると思います。

個性について考えるとき、自分に接する要素全てが影響を与えると思っています。

関わる人も、自分の言動も、自分の過去も今も、"全て"です。
それらの要素を複合的に組み合わせて、体現する生き物が"自分"で、そこから感じる"個の性質"を"個性"と呼ぶのだと思います。

まとめ

個性というのは他に類を見ない、唯一無二のモノだと思っています。
なぜなら、そもそもの個体が違うし、生まれた場所も育った環境もちがうわけなので。

たとえば、形もスペックも材料も備えているデータも全て同じのロボットがいたとしたらどうでしょうか。
きっとそこには個性というものは存在しないですよね。

個性とは尊いもので、尊重されるべきものだと私は思います。

それは自分の個性についてもそうだし、他人の個性についも同様に尊重すべきものだと思っています。
他者からなにかを奪うことで、自分の個を認めさせるようなことは間違っているだろうし、自分がなにかを損なうことで誰かの個を尊重する必要もないと思っています。

個性や、自身の尊厳については自分の中で見つけたり、確立したりしていくことが大事だと思うんです。

そのためには個性と言うものについて、自分なりに理解を深めないといけないだろうし、自身の言動が他者の個を侵害する恐れがあるということを知っておかないといけないんじゃないかな?とかを思うんですよね。

すこしややこしい話になりましたが、今の世の中を見ているとそういう「他者を思い遣る」という感覚が欠如しているように思います。
なにはともあれ、みんなが幸せに生きられる世の中になってほしいと、心から願うのみです。

それではまた。

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