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多文化共生社会について考える。”ただ単にいろんな国の人を受け入れることが多文化共生社会なのか。”という話。

みなさんこんにちは。

今回は結構重たい?テーマについて話していきたいと思います。
最近の日本を見ていると、多文化共生社会を推進しているような動きを見ることが出来ます。

個人的には、この部分にかなり思うことがあって、ここについて考えることがこれからの日本や、自分たちの未来を考える上で大事になると思うわけです。

多文化共生社会って、なんだ?

group of man on a desert
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まず基本的な部分なのですが、「多文化共生社会」とは一体何なのでしょうか。
総務省によると以下のように定義されているようです。

多文化共生を「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」と定義

引用元:https://www.soumu.go.jp/kokusai/pdf/sonota_b5.pdf

つまり、”日本人であっても外国人であっても、文化の違いを理解しようと努めて、互いに協力し合って豊かな地域社会にしていきましょう。”みたいなことが言いたいんだと思います。

表面的にみると「良いことをやろうとしている風」ではありますよね。
「みんなで新しい社会を作っていこう!」みたいなことになると思うので。

でも、私は正直なところ「これはどうなんだ?」と思っています。

”日本らしさ”をどう考えるのか。

two women wearing traditional dresses standing near house
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日本には日本の文化がありますよね。
そして、私は日本の文化や日本人の価値観が好きです。


相手を思い遣やったり、感謝を言葉や動作に起こす風習があったり、その場の「和」を尊重する考え方が好きなんですよね。
(主に「いただきます」という言葉や、「人の嫌がることをしない」みたいな感覚のことを指します。)

総務省は「文化の違いを理解しようと努めて、互いに協力し合って豊かな地域社会にしていきましょう。」みたいなことが言いたいようですが、私はこれをすることで日本らしさや日本の魅力は消えていくと考えています。

例えばですが、日本には当たり前のように"順番は守るもの"という価値観が存在しますが、「"順番を守る"という価値観のない民族と、対等な関係を基にした共生が可能だと思うか。」みたいな話です。

文化の醸成はとにかく時間がかかるものです。
現状日本にある文化を土台として、その上に「良いものを取り入れる」とかならいいと思うんですが、現状の日本を見ているとまずそんな形には落ち着かないと思います。

基本的に日本人は争いを好みませんよね。
ワーワーわめく人がいたら「あ、この人とは関わらない方が良いな。」とか思って、引いちゃうのが日本人です。
でも、日本の感覚が無い人からすると「ワーワーわめけば、好き放題できる。」とも捉えられてしまうのが現状だと思うんです。

つまるところ、なんの原理原則も無しに異文化を入れる行為は、「新しい文化の醸成」なんて聞こえのいいものでは無くて、「日本文化の破壊」でしかないと思うわけです。

異文化共生の在り方

photo of houses
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国によって、文化や考え方の違いはありますし、それは良いことだと思います。
しかし、日本という土地において外国の人が入ってきて「うちの国は○○だから、君たちも○○しなさいよ!」みたいな形は、まず間違っていると思うんです。

ここは日本であって、日本特有の文化があります。
日本の文化に馴染み、親しみ、暮らしている人がいるわけです。

なのでまず第一として、他国に行こうとする場合”その土地やその国の文化を理解し、尊重することから始めないといけない”と思うんですよね。
これは外国の人が日本に入ってくる場合もそうですが、日本人が外国へ行こうとする際も同じことです。

それが、他所の国に行くための最低限のマナーだと思うし、その程度の心遣いや行動ができないのであれば”共生”なんてできるわけがないんです。
相手への理解や尊重が無いということは、土台の感覚として「自分は相手を理解するつもりが無い。」「相手が自分のために変わるべきだ。」みたいな感じなわけなので。

そもそもですが、現状の日本において、日本国民を差し置いて外国の方を受け入れていこうとする思考が間違っていると思うんですよね。
純粋な日本国民が幸せを感じられる国づくりができていない状態で「海外の人を入れてなにができるのか」という話なんです。

「豊かな社会を目指す」みたいなことを言っていますが、まず"豊かさ"をはき違えていると思います。
"豊かさ"とは、ただ単に人や文化がごちゃ混ぜに存在することではないし、ただ人の数を増やすことではありません。
”豊かさ”とは、精神的なもので「そこに関わる人が内面的充実を感じること」が大事だと思うんです。

言葉を選ばずに言うと、現状の政治組織は純粋な日本人のための政策をしているとは思えません。

"異文化共生"とか聞こえの良さそうなことをそれっぽく進めているつもりかもしれませんが、私には「現状の日本国民はどうでもいいから、とにかく人を増やそう。」という動きにしか見えないです。

異文化を取り入れるという考え自体は賛成ですが、"取り入れ方"は考えないといけない。
そこに存在する、人や文化や生活への尊重が無いのは、無配慮な外国人のみならず、現状の政府も同じことだと思いました。

まとめ

最近、日本や世界でもかなり大きな出来事が起こっています。

これまでの常識が覆されて、これまで「あたりまえ」だと思っていた物事を疑ってかかる必要が出てきていると感じます。
政治家が「日本国民のために」なんてことを考えながら動いているようには思えません。

税負担だけがどんどん増えていき、その上生活がどんどん苦しくなっていく。
本来なら、国としての税収が増えれば生活が楽にならないとおかしいんです。

税金として政治家がお金を集めて、使い方を決めているわけですが、その使い方が根本的に間違っているという話ですね。
言い換えると、「国民のために使われていない」ということです。

こんな状況になってからでは遅いんですが、国会の中身や日本のシステム自体を見直さないといけない局面に入っていると思います。
私たちにできることと言えば、選挙に行くとか、そんなことしかできないのかもしれませんが、それでも現状より良くしていくための手立てがあると思います。

何か少しでも、今より良くしていけるように取り組んでみようと思います。

それではまた。

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