みなさんこんにちは。
久々に瞑想の実践記録を書きたいと思います。
どうやら前回は半年のタイミングで書いていたようです。
瞑想の習慣

「瞑想を習慣化しよう!」と思ってからかれこれ10カ月くらい経過しているようです。
時間が経つのは早いですね。
現状についてお話しすると「毎日絶対に〇分瞑想をする!」みたいな感じでガチガチには行っていません。
最初の方はなるべく意識的に「しっかり瞑想だけをする時間」を用意しようと思っていたんですが、仕事、子育て、その他もろもろを抱えていると「やらないといけない」という気持ちがストレスになる瞬間がありました。
なので最近は「隙間時間になるべく意識的に瞑想する」くらいの気持ちで、実践しています。
これが私の生活にすごくマッチしていて「瞑想と共に生きる」みたいなライフスタイルが出来つつあります。
(まだ意識的に行っている段階なので「できた」とは言い難い。)
瞑想と共に生きる

「瞑想と共に生きる」というと、なんだか瞑想が「行為」という概念から離れるような感覚がありますが、実際その感覚に近いです。
なんとなく、瞑想に人生をサポートしてもらっているようなそんな感覚になっています。
最近は本当にいろんな場面で瞑想をします。
満員電車や歩いている時、ご飯を食べている時なんかにも瞑想状態を感じることがあります。
瞑想を始めた頃は「ただそこに在り続けること」が土台の意識としてあったんですが、なにもしないということは特に重要ではないと感じ始めています。
瞑想は「超集中している状態」というのが正しいのかな?とか。
これは例えば、歩いている時は自分の体内感覚に集中するとか、ご飯を食べている時は「ご飯を食べる」ということに意識のすべてを集中するというような感じです。
ご飯を食べている時に、テレビを見ながら食べるのではなくて、一動作一動作すべてを大切にして、咀嚼は目を瞑って「咀嚼」という動作に集中するとかですね。
食事中に超集中状態をつくることができるとご飯の味も劇的に変わります。
「え、こんなにおいしかったん?」とか思うこともしばしば。
でも「え、こんなにおいしかったん?」と思っても、その感情を追いかけないことがポイントです。
体内感覚として「すごくおいしい」を感じても、それをただ静かに見守りながら、食事に関わる動作の一つ一つを大切に、移り変わっていく自分の動作と感情を見守ります。
いまいち意味が分からないかもしれませんが、瞑想は日常の動作すべてに応用が効いて、応用の感覚がつかめると日常のすべてがありがたいものに変化していきます。
この感覚を全員が感じられるようになれば、本当に争いとかこの世界から無くなるんじゃないかな?と思うほどです。
興味のある方は、ぜひ試してみてほしいです。
「自」と「他」の境界

うまく瞑想の波に乗れたときに、「自」と「他」の境界が消えるように感じることがあります。
自分を構成するあらゆる要素が分解されて、体も消えて意識だけがふわふわと浮いているような感覚になります。
結局は体というツールを通して、目で見て、手で触って、音で聞いて、それを自分と他人の境界線だと認識しているだけで、もともとはひとつなんじゃないかな?なんてことも感じます。
これは人だけに限らず、虫や石や空や海も、ただ一時的にその形をとっているだけなのかな?とか。
そんなことを感じ始めると、他人も自分の一部だと感じられるようになったりします。
自分を大切にすることが他人を大切にできることに繋がったり、他人を大切にすることが自分を大切にすることに繋がったり。
視点の広がりを感じられることも瞑想のメリットだと思っています。
もちろん一朝一夕で感じられることではないですし、私もたまにしか到達できませんが、その感覚は確かに手の届くところにあります。
幸せになりたいとか、なにかを成し遂げたいと感じたときに、自分の体の外にアプローチをしがちだと思いますが、答えは自分の中にあるとも感じられます。
まとめ
瞑想はおもしろい。
なによりタダで、どこでもできるってのがいいですね。
瞑想のコツとかポイントは下記にまとまっていると思います。
もしわからないこととかあれば、お気軽に「contact」から問い合わせてください。
返せるときにご連絡いたします。
それでは素敵な人生を。