みなさんこんにちは。
最近…?というか、自分に子どもができてから「大人になった」と感じることが増えました。
みなさんは自分が大人になったなあと感じる場面はありますか?
そもそもですが「大人」ってなんなんでしょう?
20歳を越えれば大人なのか、それともある種の精神的な成熟が必要なのか…。
今回は私が思う大人の姿を掘り下げていきたいと思います。
子どもの頃に見ていた大人の姿

昔は早く大人になりたいと思っていました。
子どもの頃にイメージしていた大人はなんでもできて、ルールを決められる自由な存在だと思っていました。
自分が興味のあるものは「大人になってからね」と言われることが多く、私も自分の息子に「大人になってからね」と言う場面があります。
とにかく大人になればいろんな権利や自由が手に入ると思っていました。
大人になって感じること

いま現在、私は確かに大人であるように思います。
お酒も飲めるし、自分で稼いだお金で生活をしています。そして、自由でもあります。
でもその分やるべきこと?や必要なものごとも見えてきたように思います。
例えば「責任」というやつです。
子どもの頃は責任という言葉を知っていたものの、その重みや意味を感じることはありませんでした。
責任とはざっくり言うと、「その行為に派生して、自分が引き受けなければならないこと」ですよね。
例えば、自分で持ち込んだゴミは持ち帰りましょうとかいうやつです。
できていない人は多いですよね。
夏になるとBBQの後片付けができていないとか、いろんなところで問題が発生しています。
責任の重さ、というか大人になったら引き受けないといけないものというのは、子どもの頃には見えていなかったもので、大人になった今だから感じることです。
これからの自分

自由な選択はできるようになったけど、自由には責任というものがついてくる。
私が大人になって感じる大きなことはまさにそれです。
私はそれを感じたときに、無責任な大人にはなりたくないなと思いました。
小学生の頃、担任の先生に殴られたことをよく覚えています。
どう考えても先生自身で間違ったことを言っているのに、自分の間違いも認めることができず、自分の感情に任せた暴力を正当化しようとする姿に「この人から何が学べるんだろう?」と思いました。
筋の通っていない大人にはなりたくない。
逆に筋の通ってる大人はかっこよくて、頼りになると感じます。
そして私は自分の息子に対して私が知りうる限りの「かっこいい大人」を体現してあげる必要があるな、と思いました。
過去を振り返ってみてもカッコいい大人ってほとんどいませんでした。
参考になる大人がいないって子ども視点で考えると結構キツイです。
何を道標にこれから成長していけばいいのか、という感覚にもなりそうです。
なので、私はこれからカッコいい大人になるべきなんだと思います。
子どものためにも、そして自分自身のためにも、そうあるべきなんだと思いました。
まとめ
大人になるってよく考えると結構難しいですよね。
時間と共に体は年老いていきます。
でもそれは大人になるということではない、と私は思います。
時間の経過に負けないように、自分がどうあるべきなのかを見極めてそこに向かって進んでいく必要がある。
改めてもっと頑張らないとなあ、と思いました。
今も自分より年上の人をみて「こんな人になりたい!」と思える人はほとんどいません。
ある意味では、自分で自分のあるべき姿を考えるきっかけになりましたが、目標になる人が周りにもっとたくさんいて欲しかったなあとも思います。
自分が息子たちにとってそんな存在になれるように頑張ってみようと思います。
それではまた。