恋愛

なぜ人は“自分が大切にされているか”分からなくなるのか

みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。

今回は「自分が大切にされている感覚」みたいなお話です。
みなさんは周りの人から大切にされているという感覚がありますか?

なぜ人は、実際にはそれなりに大切にされているはずなのに、それが分からなくなってしまうのか。
その理由は、相手の問題ではなくもっと別のところにあるのかもしれません。

「大切にされていない!」

このテーマで書き進める上で、少しだけ昔話?をしてみたいと思います。
これは私が高校生の頃。
当時、同い年の女の子と付き合っていました。

もちろん当時は好きで付き合っていたんですが、付き合っている中で違和感を感じる場面がいくつかあったんですよね。

具体的な話をすると

・束縛がある
・寂しがり屋でこちらが尽くしているつもりでも、それ以上に際限なく求められる

というようなことなんですが、付き合い始めた当時は「まあ、こんなもんか」と思っていました。

でも、だんだんそんな付き合い方にこちらがきつくなってきて、別れてしまったんですが…。
この恋愛をきっかけに私なりに、「なぜこんなすれ違いが起きるのか」ということを考えました。

愛されているという感覚

当時は高校生でお互いに未熟だったということもあったんですが、愛情を伝える私の中にはいつも手ごたえがありませんでした。

言葉をおくっても
モノを贈っても
実態として近くにいても

なんとなくすり抜けていくような感覚があって、まともに処理をされていない感覚があったんです。

当時私は「自分の行動が悪いのか?」と思って、相手の求めることにとにかく応えていくような付き合い方をしていました。
するとだんだんエスカレートしていって、

・女の子の連絡先は全部消してほしい
・同窓会に行かないでほしい
・夜中であろうが関係なく会いに来てほしい

みたいなことを言い出すようになってきたんですよね。
そこで私はなんとなく思ったわけです。

これは「こちらの愛情表現どうこうではなく、受け手の処理に問題があるのでは?」と。
簡単に言ってしまうと、私の言動に対して「愛されている」という感覚に結びつかなかったのかな?なんてことを感じたんです。

愛情の受け皿と信頼

そこから「なぜこんなことが起こるんだろうか?」ということを考えました。
私はそれまでの恋愛で特にこのような問題にぶち当たったことが無く、自分の愛情表現の方法について問題が無いと思っていました。

それまでの恋愛では、私自身が愛(大事に)されている感覚をしっかり持てていたし、こちらの表現に対して、受け取ってもらえた実感がありました。

なんとなくですが、

・愛情の受け皿
・信頼

という二つのことばが頭をよぎったんですよね。

「愛情の受け皿」については、現象(行動や言葉)を愛情として受け取ることができないというような話です。
これは先ほども言ったように、相手の言動に対して「愛されている」という感覚に結びつけることができない、受け手の問題です。

そして、次に「信頼」なんですが。
これは「私に問題があったのかな?」ということを感じました。

確かに私は行動や言葉を送り続けてはいたんですが、心の中では「あれ、なんか変だな。」という違和感を常に抱えていて、いつしか「好き」という感覚よりも「相手の欲求に応えにいく」ということがメインになっていたように思います。

つまり、本質的には愛してはおらず「ここまでやってるのに、なんで伝わらんの!?」みたいなモヤモヤが大きくて、変な意地を抱えていたようにも思うんですよね(笑)
(付き合い始めは好きだったけど、次第にお世話をする感覚になっていたという話です。)

となると、私の愛情表現はいつからか「嘘」に変わっていて、表面的にはそれらしい行動をとっていたつもりでも、気持ちの部分を見透かされていたのかもしれないなと思ったんです。
つまりは、私の言動に信頼が無かったという話です。

純粋に受け取ることの難しさ

人は大体において感覚的に物事を処理するものだと思います。
それは、単純に「愛してる」という言葉をそのまま受け取るのではなくて、その言葉を発している人の、微妙な空気感や言葉の間。
さらには、視線の動きや、前後の動作を複合的に受け取っているのだと思います。

「好き」という言葉や、「会いに来てくれる」という言動をそのままに受け取ることができたなら、自分が大切にされているという実感も湧きやすいとは思うのですが、実際はそんなにシンプルではありません。

自分の過去
相手の過去
自分の心の問題
相手の言動

そんなものが複雑に入り混じって、なんとなく自分が本当に大切にされているのかどうかもわからなくなってしまうのだと思います。

しかしながら、「純粋に物事を受け取れない」というのは変なことではないと思っています。
過去に辛い経験があれば、目の前の出来事を信じられなくなるものだろうし、出来事だけじゃなく、人のことも信じにくくなるものです。

じゃあ、「このまま生きていくのか」と言われてもそうではないと思っています。
私はこの手の問題について、気の持ち方が大事だと考えています。

心の安定を用意しておく

これは私が普段からやっていることなのですが、自分の心を安定させられるもの常に抱えておくようにしています。

それは例えば

・恋人がいなくても友達がいる
・もし仮に友達がいなくなっても、自分一人で楽しめる方法を確立している
・お金が無くなっても、なんとかできるようにしておく

とかまあそんなことで。
これは高校生の頃にはなかった発想でした。

当時の私は自分をなにかに委ねてしまうことが怖かったんだと思います。

「もしも裏切られたらどうしよう」
「もしも一人になったらどうしよう」

そんな不安を常に抱えていたから、誰かに心を明け渡すことも怖かったんですが、今は「なるようにしかならないな」と感じられるようになっていて。
それはきっと、自分が自分自身の選択や人生そのものに責任を持てるようになったのかな?ということを感じています。

まとめ

誰かと付き合う
誰かを信じる
誰かに委ねる

これらを決定しているのは、結局のところ自分自身で、誰かに自分の選択や感情を強制されているわけではないはずなんです。

「この人になら騙されても良いか」とか「自分に見る目が無かったのかな」という風に感じられるようになれば、極度に不安になることもないし、ある意味で誰かの愛情や、言動と真正面から向き合う覚悟ができると思っています。

「強く生きる」というと難しいように感じるかもしれませんが、「誰かの言動を信じられる」というのは、その先にある不安や出来事を受け入れられる覚悟や強さに近いのかな?ということを感じました。

具体的に「何をすべき」という答えは出せていないのですが、誰かの考え方の参考になれば幸いです。
それではまた。

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