子育て

子どもと向き合うということは、自分と向き合うことだった

みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。

最近、「子どもとの接し方」についての本を読んでいます。
そこで、ざっくりとなんですが、メモ的にそこに書かれている内容と、そこで感じたことについてまとめてみようと思います。

子育て真っ最中、あるいは、これから子育てが始まるという方の参考になると思うので、是非読んでみてください。

ざっくりとした本の内容

まず、何の本を読んでいるかの紹介を使しようかと思ったのですが、ネタバレになりそうなので、何の本かは内緒で書き進めるようにします。
まだ途中ではあるのですが、その本に書かれている内容を簡単にご紹介します。

・子どもの感情に寄り添うことが大事
・子どもは親の言動から大きな影響を受ける
・親は自身のネガティブな過去の経験を、子どもに反映させてしまう

というような感じです。

これら全て、私の子育て観ともマッチしていて「なるほどなあ」と思いながら読み進めています。
それぞれに対して、私なりの考えとか解釈を織り交ぜながら、以下でお話していきたいと思います。

子どもの感情に寄り添うことが大事

子育てをしていると、つい怒っちゃうことってありますよね。
また、忙しかったりすると「子どもにしっかり向き合ってあげられていないのでは?」と感じることもあります。

我が家には双子(5歳)の息子たちがいるのですが、「聞いて!」「見て!」「遊ぼ!」と、常に親の気を引こうとします。

大体においては「どうしたん?」「見せて~!」「何して遊ぶ?」と言う感じで接するようにしているのですが、時間が無いとかで満足にかまってあげられないことも多いです。

子どもの観点と大人の観点

「感情に寄り添うという」話なんですが、親とか大人の観点からすると「大したことない」とか思うことがありますよね。

たとえば、子どもが「保育園でケガをした」と言ってきたとします。
傷口をみると、血も出ていないし、「たしかにちょっと赤くなってるかも…?」くらいの時があります。

そんなとき「大丈夫や、大したことない。」と言ってしまいそうなんですが、子どもにとっては大変なことだったりするわけです。

しかも、そこで親にしてほしい行動が「怪我の程度を判断すること」であるかどうかもわからないわけです。
もしかしたら、「誰かに押されてこけた」のかもしれないし、「その傷がどうしようもなく痛く感じている」のかもしれません。

共感の気持ちで接すること

子どもにとっては「聞いてほしい」「見てほしい」という気持ちで相談してくれているかもしれないわけで、それを「大したことがない」と切り捨ててしまうことは、子どもにとって「自分の感情を軽視された」とも捉えられかねないんですよね。

まあ、常にそれができるかどうかはともかくとして、基本の姿勢として、子どもの話に共感の気持ちをもって関わることが大事だという話です。

子どもは親の言動から大きな影響を受ける

親は子どもに「幸せになってもらいたい」と思って、関わっていることがほとんどだと思います。
でも、「親が幸せそうに生きられていないのであれば、子どもは幸せを感じながら生きられるのか?」みたいなことです。

子どもは毎日の生活の中で、親の言動からいろんなことを学びます。

・夫婦の在り方
・家族の在り方
・人との関わり方
・言葉の使い方

などなど、親が「教えよう」としなくても、勝手に吸収していってしまうわけです。

子どもに対して「勉強しなさい」と叱る親がいたとします。
この場合、口で言うより「親が勉強している姿を見せる」とか「一緒にやる」方が効果があるとも言えそうですよね。

私(妻も含め)は、子どもの発言から、自分たちの口癖について気付かされる場面があります。
(息子たちは「最悪!」とよく言うのですが、妻の無自覚な口癖でした(笑))

こんなことを思うと、自分たちが普段から何を話して、どんな行動をとるのかが変わってきそうですよね。
いきなり「完璧人間」になることはできないとしても、改善しようとする努力や、それを実際に行動に移していく過程も子どもはちゃんと見て学ぶのだと思います。

親は自身のネガティブな過去の経験を、子どもに反映させてしまう

これは「親子関係に限らず」だと思っていますが、人は自身のネガティブな経験を、そのまま誰かに移植してしまう傾向があると思っています。

たとえば、これは実話なのですが、中学・高校の部活動において、「準備と片付けは1年がすること」みたいな風潮ってありますよね。
1年生の立場からすると「なんでお前らが主に使うものを俺らが準備せなあかんねん」と思うはずなんですが、2年、3年になると「自分もそうだったから」という感覚で、下の世代にも同じような関わり方をしてしまうんです。

これは、極端な例ではあるのですが、これが無意識に親から子へ行われている可能性があるんですよね。
親から認められなかった経験や、親から構ってもらえなかった経験をそのまま子どもに対して反映してしまうんです。

ここで必要なのは、「その当時、自分は親からどんな風に接してもらいたかったのか」を実行することなんですよね。
親の立場になったからこそ、子どもに対しての接し方や環境は自分でつくれるわけで、自分が過去に感じたネガティブな経験を子どもにもさせる必要はないわけです。

これは自覚できている場合と無自覚に行われている場合があって、「大したことでもないのに怒ってしまった」みたいなことと、自分の過去の経験が紐づいている可能性があるようです。

子どもに幸せになってもらいたい

私の土台の感覚としては、子どもに幸せになってもらいたいと考えているのですが、ここまでの話にもあるように、子どもの幸せをつくることができるのは親である自分たちなんですよね。
もちろん、すべてを親がコントロールできるわけではありませんが、少なくとも、日々の関わり方は考え、つくっていくことができます。

誰かに幸せになってもらいたいなら、まずは自分自身が幸せを感じている必要があるし、子どもになにかをしてほしいなら、親はそれを自分たちで体現していくことが近道になるわけです。

しかし、子どもの幸せというのは、親の幸せ観とは必ずしも一致しているわけではありません。
どこかに出かけることが幸せだと思う人もいれば、家でゆっくり過ごす方が幸せを感じられる人もいるのです。

そのギャップを埋めるためにも、子どもに共感しに行く動きや、しっかりと向き合う姿勢というのが重要になるというお話でした。

まとめ

「子どもと向き合うということは、親である自分自身と向き合うことなのではないか。」
ということを、この本を読みながら考えていました。

子育てというのは悩みがつきないし、正解もわからないことが多いです。
そして、自分たちの子育ての答え合わせは、「子どもの成長」からしか実感することができません。

つまり、答えが出てからでは遅いんですよね。

大人になった子どもたちが「あのときこうしてほしかった」と言ってきても、過去には戻れないわけです。

心から子どもに幸せになってもらいたいと思うなら、「今」子どもたちと正面から向き合う必要があるし、「今」自分自身のと向き合い、日々の生き方を見直していく必要があるんですよね。

「子育ては、自分が成長した分だけ、子どもに伝えられることや与えてあげられることが多くなるなあ」とよく感じます。
自分と向き合い、日々の生き方を見直すというと、すこし重たいですが(笑)
それでも、それは自分と子どもたちの幸せにつながっていくことなのだと確信を持てています。

あなたは、子どもに幸せになってほしいと思ったとき、どんな親でありたいですか?

この記事が誰かの参考になれば幸い。
それでは素敵な子育てライフを。

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