
みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。
今回は「社会との距離感」についてのお話。
現代人に在りがちだと思うんですが、仕事に追われ、時間に追われ、自分が何のために生きているのかわからなくなる時ってあると思うんです。
「このままの生き方でいいんだろうか」
そんな問いをきっかけとして、自問自答しました。
生きづらさの正体は「構造」にある?

多くの人が抱えている「生きづらさ」について考えてみると、
・「誰かに評価されること」が前提になっている
・他人と比べることで、自分の位置を確認してしまう
・「正社員」「安定」「普通」といった言葉に縛られている
というようなものが多いと思います。
これらはすべて、社会の中で生きるために身につけた判断基準だと思うんですよね。
これらは「自分の内側から自然に生まれた悩み」ではなく、「社会構造の中に身を置くことで発生している悩み」とも言えると思います。
社会と自分は、切っても切れない関係にある

とはいえ、「社会構造から抜けられるか」と言われると難しいですよね。
「生きる」という、シンプルに見えることも、
税金が発生する
→生きるためにお金が必要で、社会と完全に切り離されては生きられない。
ということが、感覚的に染み付いていると思います。
でも、私はここで「社会に全身を委ねる必要があるのか」ということを考えたんです。
たとえば、「月に最低10万円あれば、生活としては成立する」という人がいたとしましょう。
すると
・毎日フルタイムで働く
・膨大な時間とエネルギーを仕事に捧げる
・自分の「やりたいこと」を後回しにする
ということの必要性に疑問が湧いてきますよね。
もちろん、これは全員に当てはまる生き方ではありません。
でも少なくとも、「生きるために必要な量以上の人生を社会に差し出している」と感じる人には共感してもらえるのではないかと考えます。
片足だけ社会に残す

そこで、生き方の提案の話ですが「社会と関わり続けるというのは前提として、「片足だけ」社会に残すことはできないか」という風に考えたんです。
そして、残りの人生資本(片足以外)は、自分の人生を生きるために使う。
こうすることで、仕事をある意味「人生のすべて」にするのではなく、人生を支える一要素として扱うことができると思っています。
そう考えると、生き方の選択肢は一気に増えそうですよね。
別に正社員である必要はないし、ストレスも余分に持ち帰る必要もない。
さらに言うと、自分の好きなことややりたいことに挑戦する時間が増えるので、自分のスキルでお金を稼ぐようなことに挑戦できるかもしれない。
私はこういう生き方もありなんじゃないかな?と思っています。
幸せは、外の基準ではなく内側の感覚にある

私は普段から「お金や肩書きだけでは、人生全体としての幸福は得られないのではないか」と感じています。
月並みな表現ですが、あの世にお金は持っていけないんですよね。
もちろん生きている時間を有意義に展開させるために、お金はかなり役に立つのですが、お金を得ることを目標に生きてしまうと、大事なものをみ見落としてしまうかもしれないという話です。
豪華な食事ではなくても、家族でテーブルを囲み「おいしいね」と言い合ったりすることに幸せを感じるのですが、私が死に際に思い出して幸福に包まれるためには、こういう経験こそが重要だと思うんです。
極端に言うと、この手の幸福感には「評価」も「比較」も入り込まないんですよね。
ある意味個人の中で完結する絶対的な時間とも言えると思います。
生き方を個人で選ぶ

「正社員だから立派」
「安定しているから正解」
そう言われることは多いと思いますが、これらは社会にとって都合のいい基準だと思っています。
本当に大事なのは、自分たちの感覚として「幸福だ」と感じられる状態がありそれを無理なく継続できているかだと思います。
極端に言うと、どう生きるかは、自分自身で選んでいいわけです。
自分の幸せや幸福の形は社会が決めることではなくて、自分自身で決めることだと思うんです。
私は社会と距離を取りながら生きることは、逃げでも、怠けでもないと思っています。
これは、自分の人生を、自分の感覚で引き受けるという選択だと思っていて、誰かに人生や幸せの形を委ねず、自分の人生を真剣に生きるということの実践なんですよね。
まとめ
もし今、社会や仕事に追われて、自分の生き方を見失っている気がするなら。
一度、立ち止まって考える時間があっても良いと思います。
「自分は、どこまで社会を必要としているのか」
「自分がやりたいこと、理想とする生き方とはなにか」
その問いを持つことが、自分の人生と向き合う大事な時間になると思います。
この記事が誰かの参考になれば幸い。
それでは素敵な人生を。