Sora2の登場!便利すぎる時代に、人は「生きる意味」を見失うのか

みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。

今回は最新のAIツールSora2の登場で感じたことをまとめてみました。

Sora2とは?
Sora2は、文章(プロンプト)を入力するだけで、本物のような動画を自動で作れるAIツールです。
今までは映像制作に専門的な技術やソフトが必要でしたが、Sora2では「公園で遊ぶ子ども」「未来都市を歩くロボット」など、イメージを言葉で書くだけで動画が生成されます。

近年、AIの進化は止まるところをしりませんね。
最近では「Sora2」のように、簡単な言葉を入力するだけで誰でも本格的な動画をつくれる時代が訪れようとしています。
(私はまだ試せてないですが、SNSのタイムラインを見ていると凄い動画がたくさん…!)

動画制作というと、これまで特別なスキルを持つ人だけが扱えた領域だったわけですが、AIの進化によって「誰にでもできること」になるわけです。

一見すると素晴らしい進歩のように思えますが、便利すぎる世の中で、人は自分の生きる意味をどこに見いだすのか?という疑問も浮かんできそうです。

きらびやかな世界に飲み込まれる人々

assorted color laser lights
Photo by Pixabay on Pexels.com

現代は、広告やSNSによって「これを持てば幸せになれる」「こう見えれば立派に見える」という幻想が日常的に植え付けられていると思います。

これはSora2にも似たようなことが言えると思っているんですが「このツールを使えば、みんなクリエイターになれる!」という感覚になっていると思います。
現状でいうと、「すごいなあ」とか「いいなあ」とか「僕も自由に動画をつくれるようになりたいなあ」とかその機能を使えることで「何者か」になれるような感覚になりますよね。

現代人は気づかないうちにその価値観に囲い込まれて、お金を稼いでは消費し、また新しい光に憧れを抱くような生き方をしているわけですが、それが本質的な幸せに直結するかといえば、きっとそうではないと思います。

SNSを眺めていると、外側の世界が常に眩しくみえるわけですが「その光を追い続けても結局のところ自分自身を見失うだけなんじゃないかな?」と思ったんです。

「便利」と「生きる意味」の距離

person diving on body of water
Photo by anouar olh on Pexels.com

Sora2について言うと、多くの人にとっては「おもちゃ」として消費されて終わるんじゃないかな?と思っています。

「一時的に楽しんで終わり」とか、流行的なものとして扱われるだけで「それは大部分の個人の中に大きな意味を残さないのではないか」と考えています。

でも、自分の内側に確かな目的やテーマを持っていたなら、それは単なるおもちゃではなく、「自分の世界観を翻訳するためのツール」 に変わるんじゃなかな?と思うんですよね。

重要なのは便利な技術そのものではなく、「そこに個人としてどんな意味を込めるか」だと思うんです。

脳内の世界を外に書き出すということ

arranged paper clips around an eraser
Photo by KATRIN BOLOVTSOVA on Pexels.com

世の中はどんどん便利になっていって、外から入ってくる情報の量も質も凄いことになっています。

進化のスピードがすごすぎるというか、目まぐるしく世の中が変化していくので、なんとなく自分が時代に置いていかれるような感覚にもなるわけですが、そんな時代だからこそ、人は自分の内側を掘り下げる必要があると思っています。

自分は何が好きで、何が嫌いか。
どんなことに懐かしさを覚え、どんな生き方を望むのか。

そんな問いを自分の中に設けて、自分の輪郭をクリアにしていくことでしか、人は「生きる意味」にたどり着けないと思っています。

Sora2のようなツールは、その内側を形にするための装置になり得るわけで。
「綺麗でそれっぽい映像」よりも、「少し粗くても、自分の物語が宿る映像」のほうが、きっと観る人の心を動かすものになると思います。

最後に人間に残されるもの

back view of a teen boy with a digital background
Photo by Ron Lach on Pexels.com

AIがいくら発達しても、人間にしかできないことはあると思っています。
それは「人との共感や共鳴」、「人の心を動かす物語」を想像することだと思います。

だからこそ、これからの時代に問われるのは、便利な技術そのものではなく「自分自身を明確にして、それをどうやって世の中に伝えるか」 だと思います。

きっとSora2も表現をするための一つのツールになっていくわけですが、それが自分にとって適切かどうかは人に寄るわけです。

便利さに流されるのか、それを超えて意味を形にするために活用するのか。
きっとこれも個人の中に答えがあると思います。

綺麗で一般化された世の中より、人間らしさ、自分らしさを失いたくないと思うのも、人間のエゴなんでしょうね。

それでは今回はこの辺で。

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