4歳の息子と「死」を語る。私たちはどう生きるべきなのか。

みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。

今回は「死」と「生き方」について書いてみようと思います。
きっかけは、4歳になる息子との会話でした。

「パパもいつか死ぬの?」

close up photo of dying sunflower
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ある日、息子にこんなことを聞かれました。

「パパもいつか死ぬ?」
「僕も死んじゃうの?」

息子はまだ4歳。
死について考えるには早い気もします。

けれど、祖父のお葬式に参列したり、お墓参りに行ったりする中で、息子なりに「死」というものを意識しはじめたのかもしれません。

さらに彼はこうも言いました。
「死ぬなら、パパとママと、双子の兄弟と一緒がいい」
その言葉を聞いたとき、胸が締め付けられるような気持ちになりました。

「死」をどう伝えればいいのか

a man hugging his baby on a sunny afternoon
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私自身もまだ死を経験したことはありません。
だから「死ぬってどういうこと?」と問われても、簡単に答えられるわけではないんですよね。

もしかすると、息子はまだ4歳で「死なないから大丈夫」と言って適当に嘘をついてごまかすこともできるかもしれません。
けれど、それでは本質を隠してしまうだけで、子どもの不安を軽くすることにはならない気がしました。

そして、それは私の考える教育ではない。
いつか目の前に確実にやってくるものを「自分にはやってこない」と言って、表面的な安心のようなものを与えるのは問題を無視して、生きることを軽視することと同じのように思えるんです。

私たちは生きるために動物やその他植物の命を奪って生きているわけで、その上で「死を適当なものにしてはいけない」と思うんですよね。
もちろんそこまで重たいことを4歳にいうことは無いですが(笑)

それでも親として、自分の知っていることや考えていることを、息子の疑問に対して、リアルに真っすぐ伝えてあげるべきだと思いました。

後悔のない生き方

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そこで、私なりに一つだけ息子に伝えられることがあると感じました。
それは「なるべく後悔しない生き方をすることが大事」だということ。

人はいつか必ず死にます。
死はいつ自分のもとを訪れるかはわからない。

だからこそ、日々の選択を「これでいい」と思えるようにするべきだと思うんです。

それはやりたいことに挑戦するとか、大切な人に「ありがとう」「大好き」と伝えるとかそんなものなんですけど、それを後回しにしたまま死を迎えたら、きっと後悔すると思うんです。

だから私は、毎日の中で少しずつでもそういうことを行動に移していきたいと思いながら日々を生きています。

死を前向きにとらえるということ

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とはいえ、息子に「死を前向きに受け入れろ」と言うのは早すぎるんですよね(笑)

ただ、死は誰にでも必ずやってくるものだし、それをないものとしていきていくのは違うと思っています。
これはきっと「死を怖がる」のではなく、「死に向き合いながら、どう生きるか」を考えることが大切だということなのかな、と。

死の準備とは、葬式の段取りをすることとかではなくて、自分の人生と向き合うことだと思うんです。

夢や目標に挑戦したり、大切な人に想いを伝え、毎日を精一杯生きるとか。
もちろんこれは人によって内容が変わるものだと思いますが、それが、死を前にしたときに「自分は生ききった」と思える道になると思います。

まとめ

4歳の息子との会話から、「死」という避けられないテーマに触れることになりました。
死を完全に怖くなくすることはできなくても、後悔のない生き方を重ねていけば、最後の瞬間に少しは安心できるのではないかと思います。
(どちらにしろ4歳には早すぎる内容です(笑))

みなさんは、もし大切な人に「死ぬってなに?」と聞かれたら、どんな言葉で答えますか?この記事が誰かの参考になれば幸いです。

それでは素敵な人生を。

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