みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。
子育てをしていると、自分が何を大切にしていて、どんなことを子どもに伝えたいのか、改めて考える機会が増えます。
今回は、そんな日々の中で感じている「子どもに伝えたいこと」を、ひとつずつ整理してみたいと思います。
家族は「協力し合える、楽しい場所」であってほしい

私は家族というものを「楽しくて、協力し合える場所」にしたいと思っています。
ひとむかし前は「父親が働いて、母は家を守る」みたいな価値観があったと思うんですが、今の時代にその価値観がそのまま当てはまるとは限りませんよね。
共働きが当たり前の今、家事も育児も“どちらかの仕事”ではなく、家族みんなで支え合うことが自然なかたちだと思っています。
たとえば、「家事は母親の役割」という考えが家庭内で当然のようになっていたら、子どもはその価値観をそのまま受け取って育ちますよね。
だからこそ、父親である私自身が「家事は自分の仕事」として日常的に行ったり、家事をしてくれた妻に「ありがとう」と伝えるのは大切なことだと思っています。
やってもらうのが当たり前ではなく、支え合いに「感謝する」関係というか、そんな家族のかたちを親が実践することによって、子どもたちにも自然と感じてもらえたらいいなあなんてことを思うわけです。
「ありがとう」を当たり前に言えるように

長く一緒にいると、つい「言わなくても伝わるでしょ」と思ってしまうことがあると思います。
でも、たとえ家族であっても本質的には自分以外の他人で、言葉にしないと伝わらないことのほうが多いと思います。
だからこそ、「ありがとう」「助かったよ」「嬉しかった」というようなことは、言葉にして伝えるようにしています。
きっと「ありがとうって言いなさい」と教えるだけではダメで、まず自分がそれを日常の中で体現することがいちばんの教育になると思うんですよね。
子どもたちが見ているのは、親の「ことば」より「ふだんの行動」で、だからこそ親である自分たちが当たり前の感謝を当たり前に伝えられるようにしていきたいと思っています。
「幸せ」の感じ方

現代社会にいると、「お金がたくさんあれば、幸せになれる」という感覚に陥りがちです。
でも実際は、お金がどれだけあっても、それをどう使うか・どう感じるか次第で、幸せの感じ方は変わってきます。
たとえば、目の前におにぎりが一つあったときに、
「これしかないのか」と思うのか
「ありがたい」と感じられるのか。
同じ状況でも、その人の内面や心のあり方によって、見える景色はまるで変化します。
つまり、大切なのは“何を持っているか”ではなく、“どう感じられるか”なんですよね。
想像力や感謝の気持ち、幸せを受け取る心の柔らかさを持つことが、豊かさの本質なのだと、子どもたちに伝えたいと思っています。
親である自分が未熟であるという自覚

子育ての中で、日々痛感するのが自分の未熟さなんですよね。
(皆さんに共通することかはわかりませんが)
大人だからといって、なんでもわかっているわけではないし、感情的になってしまうこともあります。
知識や経験は年齢と共に増えていくかもしれませんが、人間的に立派かどうかはまた別の話で。
「うまく伝えられない」
「ちゃんと教えたいのに空回りしてしまう」
そんなモヤモヤも、親である自分が自分の未熟さを示すサインだと思っています。
でも、べつにこれをネガティブに捉える必要はなくて、今できていないことを受け取ってこれからどう成長していくかを考えることができたなら、自分自身の充実も、子どもに伝えられることも増えていくと思っています。
普段から「パパすごい!」とか言ってくれることもあるんですけど、私としては子どもたちの方が凄いと思うことがたくさんあるし、日々成長させてもらっていると感じます。
教えているようで、気付いたら教えられているような感覚になるのは子育てのおもしろいところですよね。
まとめ
子どもに伝えたいことを言葉にしていくと、結局は自分自身がどう生きたいのかということに立ち返るような気がしています。
完璧な親なんてものはどこにもいないので、自分が大切だと思うことを自分自身が体現していこうとする意識が大切なんじゃないかな?なんてことを思います。
子育てをしていると、自分の不甲斐なさに落ち込むときもありますけど、それも前向きに受け止めるというか、自分が成長するためのヒントにできたらいいなと。
なんとなく思ったことをつらつらと書いたのでいまいちまとまりがないかもしれませんが、この記事が誰かの参考になれば幸いです。