みなさんこんにちは。
今回は日替わりのお題について書いていきます。
自由とはなにか。
面白いテーマです。
私の中の「自由」について掘り下げていきたいと思います。
自由ってなんだ?

まずは言葉の定義からみていきましょう。
普段から「自由」という言葉には触れる機会が多いと思いますが、自由とはどういう状態を指すのでしょうか。
〔名〕(1)(形動)
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=115
自分の心のままに行動できる状態。
おそらくみなさんのイメージ通りだと思います。
ここでひとつ質問ですが、みなさんは「自由」ですか?
改めて自分が自由かどうかについて考えることってないと思いますが、いい機会なので考えてみてほしいと思います。
わたしは自由なのか?

私のことでいうと「自由」だと感じています。
基本的な考え方としては、思うように動かせる体があって、いろいろなことを考えることができる意識があるので私は「自由」です。
もちろん日常的な細かい部分に入り込んでいくと不自由を感じるときもあります。
例えば仕事中にゲームをしたり昼寝したりすることはできませんよね。
やろうと思えばできることですが、それをすることによって仕事を失うリスクが見えているので私はやりません。
これはある意味では不自由なことです。
自分の体と意識の単位で考えれば「できる」ことですけど、自分の家族や生活を考えたときにある種の制約がでてくるパターンです。
これは生きていると常に感じることですよね。
お腹が空いたからと言って、お店に並んでいる食べ物を勝手にとって食べていいわけではありません。
社会にはルールがあって、そのルールに従う必要があるという「不自由」があります。
でも改めた考えたときに、なんでも好き勝手にできる状況に人は「自由」を感じるのでしょうか。
「自由」と「不自由」

たとえば、どこでも好きな場所に住むことができて、何でも好きなものが食べられる。
好きになった人と好きなように過ごすことができて、その人に自分の好きなような言動をさせることができる。
これって「自由」なんでしょうか。
なにも予想外のことが無くて、自分の頭の中で展開される「やりたいこと」がすべて実現できるわけです。
私の個人的な感想ですが「つまらなさそう」だと感じました。
何かを手に入れる前から「手に入れられること」が確定しているので、なにも面白くないんですよね。
もうそうなってしまったら手に入れる必要性も感じなくなる。
逆に自分が生きている意味について考えてしまいそうです。
つまり、なにもかも自分の思い通りにできる状況になってしまうと、逆に「不自由」を感じてしまうという話です。
「自由」になるために知るべきこと

「自由」という概念は「不自由」が無ければ成立しません。
「自由」があるから「不自由」がある。
「不自由」があるから「自由」がある。
自由と不自由は常にセットで、自分が現状にどう感じているかが大切なのだと思います。
結局は「枠の中にいるか、外にいるか」というだけの話で、「ルールの中にいれば不自由を感じるし、ルールの外に出れば自由を感じることができる」みたいな話ですね。
本質的な自由と言うのは自分の中にしかなくて、誰かが決められることではないと思っています。
DV彼氏と付き合っている女の子は、DV彼氏と別れることができれば自由を感じることができると思います。
たとえ、別れた後にお金が無くて、経済的に苦しい状態だったとしても、DV彼氏と別れることはその女の子にしか感じることのできない自由で、周りの人が「いや、別れたところでお金ないから不自由やん」とは言い切れないわけです。
自由になるためには「不自由を知ること」が大切だと思っています。
自分にとっての不自由がわかれば、そこから抜け出すことで自由を感じることができる。
自分にとって何が不自由で何が自由なのか。
自分を知ることが「自由」を手にするためにも必要になると感じました。
まとめ
大体の人は「自由になりたい」と感じていると思います。
でも自由という概念がそもそも目の前にある不自由から成り立っているので、そういう意味では不自由にも感謝する必要が出てくるんですよね。
もちろん自分が不自由の中にいる場面で、そんなことを感じる余裕はないと思いますけど「不自由」という感覚は自分を自由に導いてくれる大切な感覚だと思っています。
今が不自由なら自由のために自分が動かないといけない。
誰に何を言われるよりも、自分が感覚として「不自由」を感じることが自由を手にするための大切なステップなんだと思いました。
過去に不幸から抜け出すための考え方を書きましたが、アプローチとしては同じですね。
不幸を知ることで幸福を知る。
もしよかったら参考までに読んでみてください。
それでは素敵な人生を。