人生 精神探求

自分の"限界"はどこにある?人生は可能性に満ちたものであるという話。

みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。

最近、友達と「人生楽しいなあ」という話をしたんですよね。
でも、世間的には「お先真っ暗」という感じですよね。

食料品も高いし、増税は止まらないし、子どもには冷たい社会…

私自身、日本そのものの未来については憂いてはいるんですけど、個人的には楽しく生活できています。
ここには「どのような考え方の違いがあるんだろう」と考えたので皆さんに共有してみようと思います。

人生が"楽しい"人たち

私も友だちもそれなりに人生を楽しむことができています。
それぞれの共通項について考えてみたんですが、

・生活基盤が安定している
・やりたいことが明確になっている
・やりたいことに向かって前進できている実感がある

という感じでしょうか。

まず、土台として日々の生活を安定して送ることができていないと幸せを感じにくいのではないか、と思っています。
それは例えば「衣食住が確保されている」とか、「睡眠がとれている」とか「生活を支える”基礎”の部分が出来上がっているか」みたいな感じです。

これを土台として、「目標がある」とか「目標に向かって進んでいる実感がある」というのが大事なのかな?と思いました。

ただ上記の項目は、私と友人においての場合であって、全ての人の「楽しい」に当てはまるとは思っていません。

充実の感覚はどこにあるのか

人はそれぞれの"感覚"を持っていますよね。
好きな食べ物も飲み物も、音楽も好きな人も違います。

「何に対して楽しいと感じるか」とか、「何に対して充実を感じるか」も違うわけです。

ということは、自分自身で「何に充実を感じるのか」というのを知っておかないといけないと思うんですよね。
充実というのは、自分の体(感覚)の中で感じるものであって、それは周りの誰かが決められることではありません。

私が常に感じていることなんですが「自分と向き合えば向き合うほど、可能性が広がるし、世界はクリアになる。」と思うんです。

それは例えば、

・自分にはなにができて何ができないのかを把握すること
・自分の好きなものと嫌いなものを把握すること
・自分のやりたいことややりたくないことを明確にする

平たく言えば自己分析ですね。
自分にできることを伸ばせばそれが仕事になるかもしれないし、できないことが出来るようになれば、単純に可能性が広がります。

でも、そういうことについて考える機会が無いと、自分の変化に鈍感なってしまうと思うんですよね。

人生は可能性に満ちたものである

人は基本的に変化を嫌い、安定を好む生き物だと思っています。

例えば「現状の仕事に対して不満はあるけど、とりあえず生活は成立している。」となったときに、わざわざ転職をしようと行動する人は少ないですよね。
多くの場合、「余暇時間に努力をして現状を変えてやろう!」という人は少ないと思います。

でも、そんな毎日の中でも人は歳をとっていきますよね。

なんとなく目の前の毎日を処理して、時間だけが過ぎていく。
その環境にいることに慣れてしまって、自発的に「どこかへ向かっていこう!」という気持ちが無くなってしまうんだと思います。

私は「大人になるといろんなことを諦めてしまう癖」がついてしまうことに気が付きました。

「時間が無いから」「どうせできないから」「才能が無いから」
できない理由や、やらない理由はいつだって無限に湧いてくるんですよね。

でも、なんでもやってみると、いろんなことが変化していくことに気が付きます。

自分にできなかったことが出来るようになる感覚や、目標に向かって進んでいることの実感や、自発的に変化していくことの楽しさなど。
子どもの頃はそんな感覚が毎日の中にあったから、楽しかったのかもしれません。

私は上記で述べたような感覚を知っているから、30歳を過ぎた今ですら「やればできる」という感覚でいろんなことに望めているんだと思います。

まとめ

社会の中で生きていると、周りに合わせることや、ルールや規範を守ることを求められて、自分自身に向き合う機会がどんどん減っていきます。

あの人はどう感じているんだろう?
この場所ではどうするのが正しいんだろう?

もちろん大切な感覚ではあるんですが、目の前に広がる人生を生きているのは、自分自身なんですよね。

なので私としては、自分自身と向き合うことの大切さを知ってほしいと思っています。
きっと自分自身のことや、自分のやりたいことが見えてきたときに人生が大きく変わると思います。

この記事が誰かの参考になれば幸いです。

それでは素敵な人生を。

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