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自分の感覚と向き合うことの大切さ。自分の人生を生きるために必要な時間について。

みなさんこんにちは。

つい先日妻から「1日ゆっくりしてきていいよ~」と言ってもらえたので、久しぶりに一人の時間を満喫してきました。
その中で感じたことがたくさんあったので、皆さんにも共有していきたいと思います。

ひとりの時間

person sitting on brown wooden dock under cloudy blue sky
Photo by Matthias Zomer on Pexels.com

最近はとにかく時間が無くて、精神的にもすこし余裕がありませんでした。

仕事が忙しいということもあるんですが、プライベートでもやらないといけないことがたくさん、考えないといけないこともたくさん。
そんな日常が続くと疲れがたまってきて、毎日から「さあ、やるぞ!」というような気力がどんどん失われていくんですよね。

とにかく目の前にやってくるタスクを消化するだけでいっぱいいっぱいになっていて、自分の時間と言うものがほとんどありませんでした。

そんな状況を妻も感じ取ってくれたのか、「1日ゆっくりしてきていいよ!」というようなことを言ってくれたんですよね。ありがたい…

息子たちにも「パパ遊びに行ってきてもいい?」と聞いたところ「いいよ~!」と言ってくれたので、思いきり一人時間を楽しむことにしました。

朝日を迎えに

disturbed sea at sunrise
Photo by Odd Rune Falch on Pexels.com

当日は朝の4時に起きました(笑)

できるだけ早くから動き始めて、早く帰ってこようと言う作戦です。
1人の時間が嬉しいとはいえ、家族と過ごす時間も好きなので1日で両方楽しもうという作戦です。

とりあえず身支度をして、リビングの片づけをして(寝る前に息子たちが遊んでいたおもちゃが散乱していたので)、家族に感謝の手紙を書いて出発です。
朝の5時くらいに家を出ました。

外はまだ暗くて、とにかく寒かったです。
街には人がいなくて、まだ眠ったままの様でした。

この日は写真を撮りながら散歩をすることにしました。
(最近は子どもの写真を撮ることはあっても、風景なんかは撮る余裕がなかったので…)

まずは海に行きます。
いつもは「気付いたら明るくなってる」みたいな感じですが、「たまには朝日を真っ先に見るために動く日があってもいいだろう」という考えです。

「海に行けば、水平線から顔を出す朝日を見れるはず。」

そんな気持ちで海に向かうわけですが、その道中駅前の広場でゴミ拾いをしている人を見かけました。
私の地元の駅はいつも人が結構たくさんいるのですが、ゴミがあまり落ちていません。

時間は朝の5時30分とかで、ゴミ拾いをしているその人はどこかに所属しているような雰囲気もありませんでした。
会社や市の人だったら、もっと遅くに動くはずだし、腕章などなんのアピールも無く早朝からゴミ拾いをただ黙々としている人がいるんです。

「この場所がいつも綺麗なのはこういう人がいてくれるからなんだな」と思いました。
感謝の言葉を伝えたかったけど、勇気が出なくて伝えられませんでした。
次にもし見かけたその時は感謝の気持ちを伝えて、その上で少し話を聞いてみようと思います。

海に行くまでのコンビニでサンドウィッチとコーヒーを買いました。
朝日を見ながら海で食べるんです。(そそるでしょう)

実際に朝日を見ながら海で食べるサンドウィッチはおいしかったです。
普段生活をしていると食事なんかも時間の制約の中で、ササッと食べてしまうことが多いですが、ゆっくりと一人の時間を感じながら食べるサンドウィッチはどこか特別な味がしました。
(食べているのはコンビニのサンドウィッチなんですけどね)

感覚と向き合う

a woman taking photo of herself in the mirror using a dslr camera
Photo by Celine on Pexels.com

次に公園へ向かいます。
地元にある比較的大きな公園です。
その日はイベントがあるらしかったんですが、時間もまだ早くて人はあまりいませんでした。

とにかく気ままに公園の中を練り歩きながら写真を撮り続けます。
「こうやって撮った方がよくなるかな…?」「こっちから撮るとどうだろう…?」
そんなことを考えながらひたすらにグッとくる風景にシャッターを切り続けます。

集中して写真を撮っているときに思ったんですが、せわしない毎日の中では景色や風景はただ流れていくだけのものになってしまっているんだと感じました。

朝日が木の間から優しく差してくる感じとか、視界の端で朝日がプリズムする感じとか。
太陽に照らされて気持ちよさそうな木も、踏みつけられても起き上がろうとしてくる草も、せわしない日常の中では意識の外にあってそこからなにかを感じることは無いようです。

でも、生活や時間の中に余裕があって、ゆったりとした気持ちで自然を眺められたなら、そこに美しさを見出すこともできます。
「綺麗だな」とか「気持ちいいな」と感じるその瞬間、その感情から私は確かに生きていることを実感するわけです。

「辛い」とか「苦しい」も、生を実感する瞬間ではありますが、できることならポジティブな感情と共に生を実感していたいですよね。
自分が美しいとかを感じることは、どうやらそれを可能にしてくれるようです。

忙しい毎日の中ではなかなか気付けない感情ですが、気持ちや時間の余裕によって自分の感覚にしたがって、心にグッとくるものを求める動きは人生において大事なことなんじゃないかな?と思いました。

自分の人生を生きるということ

person sitting on tree log
Photo by Oleksandr P on Pexels.com

こうして、この日はとにかく自分の感覚と向き合って「あれをしよう」とか「あそこに行こう」とか、そんなことをずーっとしていました。
「写真を撮る」というその行為も、目的によって内面に生じる意味が大きく変わるんだなということを感じました。

「自分はどんな景色にグッとくるんだろう」とか「自分はこういう色合いが好きなのか」とか、写真を通して自分の好みを知るというか、そんな時間になったような気がします。

私がよく言うことですが「自分を知ることが本質的に自分の人生を生きるために必要なことだ」と思います。
それは例えば、自分は何が好きで何が嫌いで、どんな人が好きで、何にグッとくるのか。みたいなことです。

好みや傾向がわかればこれからの人生において、自分の求めるものが見えてきます。
でも自分のことを知らないままでは、自分がこれから何をしたいのかも、どこへ向かうべきなのかもわかりません。

とにかく情報が多い現代において、情報に巻き込まれながら、自分というものがわからないまま、ただ流されるように死んでいくようなことはしたくないんです。

自分の人生を生きるために、自分のことをより深く理解するために、自分の感覚と向き合うことが大事なんだと再確認した時間になりました。

まとめ

この日は15時くらいに自宅に帰りました。
散歩をして、写真を撮って、本を読んで、文章を書いて、絵を描いて。
とにかく好きなことができました。

夕飯の時に改めて家族に「今日はありがとう。とても楽しめました。」と伝えました。
すると妻が「こちらこそいつもありがとう。パパが幸せがみんなの幸せだよ。」と言ってくれました。

泣きました(笑)

一人の時間も好きですけど、家族ってやっぱり良いですね。
これからも家族の幸せを考えて生きていこうと思いました。
(たまには自分の時間をつくりながら)

それではまた。

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