私は良い子育てができているだろうか…?子育てをどのように行うべきかについて考えてみた。

みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。

今回は子育てについて書いていこうと思います。
普段子育てをしていて「自分の子育ての方法は間違っていないかな…?」なんてことを考えることがあります。

きっとこれは世の中のパパやママが感じる悩み事でもあると思うので、今回はここについて私なりの考えのようなものをお話してみようと思います。

子育てが正しくできているか

father and daughter painting a cardboard house together
Photo by Tatiana Syrikova on Pexels.com

まず、大前提として言っておきたいのが「子育てに絶対的な正解というものはない」ということです。
ここについてはきっとたくさんの方が共感する部分だろうし、納得する部分だと思います。

でも、実際に親の立場になって子どもと接していく中で、なぜか不安になってくるんですよね。

叱り方はこれでいいのかな?
テレビやゲームを禁止することは正しいのかな?

とか、そんなことで心配になったりします。
正解が無いとわかっているはずなのに、「なぜ自分の子育てに自信を持てないのか」というのは疑問ですよね。

自分の子育てと他人の子育てと比較してしまう

group of children walking near body of water silhouette photography
Photo by Guduru Ajay bhargav on Pexels.com

ここについては「無意識のうちに人と比べてしまっている」ということが言えると思います。

たとえば「友だちのAくんはゲームを自由にしても良い環境があって、いい子に育っている」という事実を目の当たりにしたときに、「ゲームを禁止してしまっている自分は正しいのか」みたいな感覚になってしまうんです。

これは別に普通の感覚だと思います。
子育てに正解は無いので、ある意味では自分が今行なっている子育ても正解になり得るし、Aくんの子育て環境が正解ともいえるわけです。

良い子育てってなんだろう?

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Photo by Andrea Piacquadio on Pexels.com

まず土台部分の考えとして、人は個性を持っていますよね。
自分の子どもとAくんとでは、そもそもの個体が違うわけです。

なので「同じ方法を取れば良い」というものでもなくて、個性に合わせた付き合い方が必要だということを、私は常に念頭に置いています。

でも、きっと「いい親でありたい」と思いながら子育てと向き合っている人は、悩むと思います。

それは向上心があるからで、現状に対して常に疑問を持ちながらいい方法を追求していく姿勢に伴う現象なので、「悩んでいるということが良い子育てをしようとしている証拠」とも言えると思っています。

でも、「良い子育てをしようとしている」なんていうのは、ただの親の立場での自己満足ですよね。
きっと世の中の悩めるパパやママが望んでいるのは「子どもにとっていい親でありたい」という部分だと思います。

子どもと一緒に正解を探す

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Photo by Julia M Cameron on Pexels.com

子どもにとっていい親でありたいというのは難しいものです。
たとえば「子どもの好きなこと、やりたいことをすべてさせてあげるというのがいい親なのか」と聞かれるとそうではないはずです。

私は「子どもの好きなことをさせてあげたいという」気持ちも抱えてはいますが、こどもが大人になった時「世の中は大体が思い通りにいかない」ということを知っておいてほしいというのも親の気持ちとして抱えています。(ジレンマですね)

そうなったときに、急に正解の形がわからなくなってしまいそうですが、私が普段から意識していることは、「子どもと一緒に正解を探す」ということです。

もちろん親の立場で知っていることもわかっていることもたくさんあるわけですが、それを一方的に押し付けるようなことはしたくないと思っています。

たとえば「人からものを取るのは悪いことだ」という考えが親にあったとして、子どもにはそれを伝えるんですが、わかってくれない場面も多いです。

その時に「ダメと言っているだしょ!」と言っても、子どもにとっての「理解」にはつながらないんですよね。

まず、子どもがどこまで理解しているのかを聞いてあげる必要があるし、子どもの理解に合わせて大人が説明してあげる必要があるわけです。
それが「何故ダメなのか」を親が説明できないと、子どもは理解できないんですよね。

親は完璧な存在ではない

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Photo by Ingo Joseph on Pexels.com

私が普段、双子の子育ての中で感じることは「理解してもらうのって難しい」ということなんですよね。

誰かに理解をしてもらおうとするなら、まず自分自身が理解している必要があるし、それを自分の理解の温度感で相手に伝えてあげる必要がある。

そう思うと、正しい言葉がつかえないといけないし、相手の感情に寄り添ってあげないといけない。
自分が感情に身を任せてしまったら、その時点で目的は「子どもにとっての理解」ではなく、「自分の怒りを相手に伝える」にすり替わってしまうんですよね。

だからこそ、子どもと話し合いながら「今回失敗しちゃったけど、これからどうするのがいいだろうか?」というのを子どもと一緒に探すのが大事なんじゃないかな?と思うんです。

親というのも完璧な存在ではないし、常に正しい選択をできる生き物ではありません。
「パパもどうするのがいいかわからないから、一緒に考えてみよう。」という姿勢でいいんじゃないかな?と思うんですよね。

まとめ

子どもって世の中をほんとうに純粋に見ていて、自分の「当たり前」がいかに適当なものなのかを実感することが多いです。

子どもには「ありがとう」「ごめんなさい」をしっかり言えるようになってもらいたいけど、夫婦間でそれを当たり前にできているかと聞かれると、できていない人もきっと多いと思います。

たとえば「パパがママに対して「ありがとう」を言わないのはなんで?」と聞かれたときに、口ごもってしまうのなら「本当だね、これからは洗い物をしてもらったらありがとうと言うようにするね」とかできれば、「あぁ、こうやって変えていけばいいのか。」という理解になると思うんです。

子育てって「子どもに対してなにをしているか」という見方をしがちですが、「なにを見せてあげられているか」という視点も大事だな、なんてことをよく感じます。

私もまだまだ未熟なパパではありますが、息子たちにとって良いパパになれたらいいなと思います。
この記事が誰かの参考になれば幸いです。

それでは素敵な子育てを。

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