みなさんこんにちは。
「私は一体何のために生きているのだろう。」
私はたまにそんなことを考えます。
もし同じようなことを考えたことがある人に、ぜひとも読んでいただきたいです。
「私は一体何のためにいきているのだろう」

これはつまり、自分の人生の意味とかそんな話になるんですが、自分が生まれてきた意味を問う言葉だと思っています。
例えば、子どもを育てているとしたら、その意味を感じやすいかもしれません。
「私はこの子を育てるために生きている」
これがなんとなくでも人生の意味になりますよね。
自分が「生きている」ということを子育てを通して感じていくわけです。
他にも、仕事が楽しくてワクワクしている人なんかは、「自分はこれをするために生まれてきたんだ」という感覚になるかもしれません。
言い換えれば天職とかそんな話で、仕事が楽しくて仕方ないというような感じです。
他にもいろいろとあります。
例えば、好きな人と一緒にいる瞬間。幸せな時間。
自分が「生きている」と感じる瞬間。
ここについては本当に人それぞれだと思います。
自分が何のために生きているのかということは、自分が何に幸せを感じるのかということでもあると思います。
私の幸せ

幸せの形は人それぞれです。
同じ環境で育ったとしても、その感覚は微妙に違うはずです。
個人はそれぞれで違った形の感覚を持っているものだと思います。
好きな音楽も、好きな食べ物も、好きな色も違うというような感覚に近いかもしれません。
なにはともあれ、個人の中にはオリジナルな感覚が備わっていて、その感覚によって「幸せ」を感じるわけなので、幸せの形は個人で見つけ出さないといけないというようなことがわかると思います。
自分にしか自分の幸せを見つけることができない。
これはつまり、自分以外の誰かが本質的に
自分を幸せにしてくれることはないとも言い換えることができると思います。
幸せの形は自分しか知らないわけなので、本当の意味で他人が自分の幸せの形を言い当てたり実現することはできないわけです。
幸せになるためにはどうしたらいいのか

結局のところですが、
・自分で自分の幸せはなんなのかと自問自答する
・自分の幸せのために行動する
の二つが必要になるわけです。
世の中にはいろんな価値観がありますよね。
結婚すれば幸せになれる、幸せに見える。
持ち家があれば幸せな家庭に見える。
しかし本当にそうでしょうか。
もっと突き詰めた話「お金があれば幸せになれる」という感覚は果たして正しいのでしょうか。
例えばお金があって、美味しいものが好きなだけ食べられて、好きなところへ行ける。
でも一人だったらどうでしょうか。
何を食べても一人。
どこへ行っても一人。
どれだけ楽しくて、嬉しくて、かなしくても一人。
そうなったときに自分は幸せを感じられるでしょうか。
ここまで来て、人の土台部分に「誰かと気持ちを分かち合いたい」という気持ちがあることに気が付くと思います。
幸せのヒント…?

基本的に依存的であることが生物の原則部分にあると思います。
生物は他の何かがないと、存在しえないということです。
自分以外のなにかが存在して、初めて「自分」が存在するわけです。
つまりは「自分」と「自分以外のなにか」の間に意味が存在するということです。
たとえば、自分の最愛の人とか。
その人を愛し、愛されることで自分の意味を感じます。
あるいはネガティブな方向で行くと、復習相手とかです。
その人に復讐することが自分の意味になるわけです。
ただここでやってもらいたいのが、その意味を受けたときの自分の感情に目を向けるということです。
言語化すると、「復讐が自分の生まれてきた意味だと感じたときの自分の気持ちはどうか」というような感じです。
嬉しいのか、悲しいのか。それともなんともならないような複雑な気持ちなのか。
きっと個人の単位で考えたとき、人はみんな「幸せでありたい」と感じるはずです。
自分の体の中に生じる、心地の良い感覚。幸せという感覚。
もし自分の生きる意味を考えたときに、なんとなくモヤがかかったように幸せの感覚を受け取れないのなら、それはあなたの生きる意味では無いかもしれません。
個人の感覚はすべてを知っていると思います。
自分の感覚に従えば、おのずと答えは見えてくるものだと思っています。
焦らず、冷静に、自分が心から「これでいい」という感覚の中で、幸せを感じられるか。という部分を考えてみてください。
そうすれば、きっと自分がうまれてきた意味にたどり着くはずです。
まとめ
なんとなくふと、自分の生まれた意味について考えたことがきっかけでこの文章を書き始めました。
これは私個人の話ですが、私はいつも自分が幸せだという感覚があって、そのうえで近くにいる人たちを幸せにしたいと考えています。
自分が幸せになるだけでは飽き足らず、ほかの人も幸せにしたいとか考えているわけです。
でも個人でできることなんてたかが知れていると思ったんです。
なので、文章にして、言葉にしてこの感覚を伝えることができれば
いろんな人が幸せになれるんじゃないかなと思ったわけです。
またなにか気付きがあれば共有します。
それでは素敵な人生を。