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私はおじさんになってしまった。

みなさんこんにちは。

最近…というかこの涅槃ぶろぐを始めてから、結構真面目な内容ばかり書いていたなあなんてことを思いました。
たまにはくだらないことも書きたい。いや否、書くべきだ。と感じたので、今回はくだらないことを書いていきたいと思います。

おじさんになってしまった

a man with glasses and a safety vest standing in front of a train
Photo by Hardeep Singh on Pexels.com

私は今年31歳になった。
これはつまり、生まれてから31年が経ったということ。


31歳なんていうのは世間から見たら立派なおじさんである。
改めて自分のことを俯瞰したとき、おじさんになったことを実感して、バビっている。

ちなみに「バビる(バビっている」とは、バリバリにビビるという意味。
とっても驚くとも言い換えが可能。
「あえてこういう言葉を使っていくことが若さなんでは無いだろうか」と深読みして使ってみたものの、そもそも若者は斬新な言葉を使うときにこういう深読みをしない。
そしてこの文章を書いていて「自分」と「若者」で切り離しを行っていることに無意識なおじさんを感じる。
(この刹那、私は2重の意味でバビっていることに気付く。)

みなさんは普段の生活の中で「うわ~、なんか大人なってもたなあ~」みたいに感じることはないだろうか。
私は最近そんなことをよく感じる。

まず高校生を見て「なんだか怖い」と感じるようになった。
たとえば急に「おいおっさん!金出せや!!!」と言って追いかけられたとして、逃げ切る自信が無い。
そして「おい、おっさん」という言葉に対して(あれ…?ひょっとして俺のこと??)みたいに、その辺の高校生にひょっとさせられるかもしれない可能性も怖い。

さらに言うと、まず第一に逃げることを考えているところに老いを感じる。
(私の中の野生、暴力、支配はどこへ行ったのか)

高校生と言えば、15歳から18歳の年齢層にあたる。
私は31歳なので下手すればダブルスコアである。

ダブルスコア〘名〙 (double score) スポーツ試合などで、一方得点が他方の得点の二倍になること。

https://kotobank.jp/word/%E3%83%80%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%82%A2-321982

自分が高校生の頃、ちょっとやそっとのヤンキーが相手なら勝てると思っていた。
なんなら勝てないと悟ったら逃げ切れると思っていた。
今から約15年前の自分には”自信”があった。

でも今は無い。
若さに勝てる自信が無い。
恐らく勝てる部分でいうと、ロジカルシンキングのスキルくらいであろう。

でもきっと高校生を相手にしたとき、ロジカルシンキングの出番はない。
こちらのロジカルが相手の脳に到達するより先に、相手のコブシが私の右頬にヒットする。
(「右頬にヒットする」と無意識のうちに書いてたけど、頭の中のヤンキーはどうやら左利きらしい)

右頬がジンジンしてきてようやく「殴られたのだ」と理解する。
でも反撃はできない。
なぜなら私の中の野生や暴力はいつの間にか姿を消してしまったから。

「ロジカルシンキングでは高校生にダメージを与えることができない」
それはきっと間違いない。
無遠慮な暴力の前ではロジカルなど無に等しいのである。

そんな理由で私は高校生がなんとなく怖い。
しかし私は彼らよりも知識があり、相手を騙す力に長けている。

できるだけ高校生がいる場所では指をポキポキして相手を威嚇する。
そうすればきっと経験の浅い高校生は「この人は格闘技をしている人だ。俺ではかなわない。」と思うだろう。

さらに追い打ちをかけるように「だれでも良いんだけどよぉ。」とか言いながら、周りをギョロギョロにらんでみてもいいだろう。
そしたら高校生は「あ、ヤバイ。この人は多分ヤバイ。」と思って喧嘩など売ってこないはずである。
高校生なんてそんなものだ。私は高校生よりはるかに賢く、相手の心理を読み取るチカラに長けている。

ゲームをしなくなった

two people holding black gaming consoles
Photo by JESHOOTS.com on Pexels.com

他にも私が大人になってしまったと感じる場面がある。
それはゲームをしなくなったことだ。

昔はゲーム大好き人間だった。
ゲームだけをしていたいと思っていた時期もある。
でもどこかのタイミングでゲームばっかりやってたらやべぇと思い始めてしまった。

昔は親などから「ゲームばっかりしとったらあかんで」というように言われるたび、「こんなおもしれぇもん辞めれねえよ!!」と思っていた。

ゲームも無しに大人は何を楽しんでいるんだろうか。とも思っていた。
でも今は違う。
今の私は「ゲームばっかりしとったらあかんで」とか言っちゃうサイドの大人になってしまった。

どれだけレアなポケモンを捕まえても、人生にほとんど影響を与えない。
ピカチュウをレベル100にしたところで、レベル100のピカチュウのデータを持っている人間にしかなれない。

たとえば就職活動の面接で「私はピカチュウをレベル100まで育てた経験があります!」と面接官に行ったところで採用されるだろうか。
恐らく無い。ほとんどの場合において無い。


でもコイキングをレベル100まで地道に育てた人がいるなら尊敬する。
コイキングは公式にも「ちからも スピードも ほとんどダメ。せかいで いちばん よわくて なさけない ポケモンだ」とか言われている。

引用元:https://www.pokemon.jp/special/koiking_love/zukan/


コイキングをレベル100まであげても使い物にならない。
でもそれを承知でレベル上げしたのならよっぽど辛抱強く、自身の目的のために努力を惜しまない人間だろう。

話をもとに戻す。

一時期、荒野行動というゲームにはまっていた。
あれはおもしろすぎた。


しかも20代の後半に差し掛かりかけのところではまってしまった。


今はゲームもかなり進化している。
油断をすると飲み込まれてしまいそうになるのが怖い。
そんな理由で私はゲームと距離を置いている。

正直ゲームに夢中になれる大人は羨ましい。
ゲームをやっているときはゲームのことしか考えてなかったはずなのに、今はゲームをしたとしてもふとした瞬間にリアルを考えてしまう。
私の中にいたはずの少年はどこかへ消えてしまった。

おじさんは悲しい。
おじさんは寂しい。
私はおじさんになってしまった。

でも下を向かない。

私は上を向くおじさんになる。

小学生が私をみて「あのおじさん下ばっかり見てる」と思われたくはない。
「あのおじさんは上ばっかり見てる。しかもちょっと笑ってる。」とか思われたい。

私は希望のおじさんになりたいのだ。

小学生が私を見て「そうか、おじさんになってもちょっと笑っちゃうくらいには楽しいのか」と思ってほしい。
事実、私は毎日結構楽しい。

「そのうち自分の肉体的闘争力に自信がなくなったり、ゲームをしなくなるかもしれないけどおじさんも悪くないぜ。」

そう言いたい。
小学生や中学生に言いたい。

くだらないことを書きたいと思って書き始めたけど、序盤(ダブルスコアのくだりらへん)で飽き始めていた。
また気が向いたらくだらないことを書く。ではまた。

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