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直感を信じて生きるのは正しい…?感覚は全てを知っているというお話。

みなさんこんにちは。

今回は日替わりのお題について書いていきます。

文のお題 (日替わり)
直感を信じますか ?

ずばり直感を信じるかどうか。
さっそく回答ですが、私は直感を信じます。
なんなら直感に頼って生きている節があります。

今回は直感で生きることについてお話していきたいと思います。

直感とは、なんだ。

a woman holding the stack of books on the table
Photo by cottonbro studio on Pexels.com

直感とは、ひらたく言うと「自分の感覚によって判断すること」というような感じでしょうか。
つまり「あ、なんかきそう!」とか「嫌なことが起きそう!」とかそんなやつです。

直感の対義語的なものとして推論というものがあります。
これは「○○だから、○○になるだろう。」みたいに情報をもとにして判断する感じです。

私はこれまで人生における大きな選択については大体直感を信じてきたように思います。
例えば、自分の将来についてとか妻との結婚とか。
なんとなく「いけるやろ」みたいな感覚があるときはそれに従ってきました。

直感と推論

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Photo by Anastasia Shuraeva on Pexels.com

私の元来の性格についてなのですが、論理的な部分が強いと思っています。
(あくまで自己分析です)
普段は「過去にこういう流れがあったから、これから○○のような流れがくるだろう。」というような感じで、物事を進めていくことが多いです。

「直感型なのか推論型なのかどっちやねん!」という話になりそうですが、大きな物事は直感で判断して、進行は推論で進めていく感じだと思っています。
(意味が伝わるか不安ですが…)

例えば、私は大学生を卒業してから、一般企業に就職しませんでした。
その時に見たとある映画がきっかけで「あ、俳優になろう。」と思ったんです。

周りの友だちや家族からすると「何を急に…」と思ったに違いありません。
でもその時働きたいと思える会社が無かったんですよね。
自分をワクワクさせてくれる感覚というか、そいういうものを感じられないのに、惰性で働くのが嫌だったんです。

大体の人は「大学を卒業したら、就職。」とかを考えるんだと思います。
きっといい会社に就職するために大学に通っている人がほとんどで、そこからわざわざフリーターになって、成功確率の低い俳優を目指すなんて正気の沙汰ではありません。

でも、その時は俳優という職業にワクワクしちゃったんですよね。
それまで全く興味の無かった世界ですけど、演技で自分の内面世界をガラリと変化させてしまうようなそんな経験に感動したんです。

俳優を目指すと決めてからはいろいろと推論を立てて活動を始めました。
「映画に出るためにはどうすればいいか」というのを、自分なりに考えて情報収集して、自分の立てた計画で物事を進行させていきます。
結果的に上京してから3年くらいで映画には出演できました。(超端役ですけど…)

今でも「大学を卒業してから就職せずに俳優を目指してよかった」と感じます。
その時にした経験の数々は、間違いなく今の仕事でも役立っていますし、普通に働いているだけでは身につかないスキルがいろいろと身についたと思います。

感覚は全てを知っている

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Photo by Kelvin Valerio on Pexels.com

私は判断に迷ったとき、自分自身によく問いかけます。
「俺はこれでいいんだろうか」と。

例えば、「俳優になりたい」と思ったときもそうで、「俺はこれでいいんだろうか」と自分に尋ねました。
4年生の大学に通わせてもらって、その上新卒で就職するためのカードを捨てて、大学に行かなくてもできる俳優を志すわけですから、迷いが無かったわけではありません。

でも、自分の心を動かされた感覚であったり、演技を通して誰かの心に人生を変えるほどの影響を与えるということをやってみたくて仕方なかったんです。
これは大学を卒業して、いい会社に就職して年収1000万円もらえる仕事ができたとしても叶えることはできないはずです。

自分の心が、自分の感覚がそれを実現させる未来を楽しみにしているのに、それに反してワクワクしない事をするなんて馬鹿げていると思いました。
自分の感覚に従わないなんてある意味で死ぬのと同義だ、とそんな風に感じたんです。

例えば、本質的に人からなにかを奪うとか人を傷つけることになる行為である場合、感覚に従うのは避けた方が良いと思います。
でも個人の範囲で、個人の内面に広がる充実感を実現するための行動であれば、私はどんどん感覚に従うべきだと思うんです。

感覚というのは自分のことを、自分以上に知っています。
誰かを好きになった時、気付いたらその人を目で追っているとか、なんだか気になっていたなんてことはありませんか?

何故か気になってしまう。
感覚がその人を求めている。
でも自分の頭はまだ理解できていない。みたいなやつです。

感覚には説明がつきません。
「そう感じた」としか言いようがないんですから、自分が心から「それが良い」と思ったのなら、そうすべきだと思うんです。
きっと自分の気持ちを押し殺して周りに流されて生きるより、自分らしく生きられると私は思います。

まとめ

私は基本的に感覚に従う派の人間ですが、感覚に従うにもタイミングや思案は必要だと思っています。

「やりたい!」と思ったからすぐやるのではなくて、それをやるために今は何をすべきかとか、実行するタイミングはいつなのかとかをよく考えます。
例えば「10万円のカメラが欲しい!」と思ったときにすぐ買ってたらとんでも無いことになりますよね。

買うのは買うとしても、そのためにはまずお金を貯めるとか、妻の機嫌を取るとか(笑)そういうことが大事だと思います。

もしかすると、自分が感覚的にやろうとしていることが誰かを傷つけてしまうかもしれない可能性だってあるわけです。
自分らしく生きるために感覚は尊重すべきですが、それと同じように自分以外の人への尊重も忘れないように、というような話でした。

それでは素敵な人生を。

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