
みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。
今回は日替わりのお題について書いていこうと思います。
生活において、どのような部分にもっと注意を払うことができますか?
なんかわかりにくいお題ですね。
まあ、細かいことはさておき考えていきましょう。
生活の細部においてもっと注意を払える部分

実は個人的に、普段から思う部分があってですね…。
もっと丁寧に生きたいなと思うんですよ。
なんの丁寧さなのかという話なんですが、大きくは挨拶ですね。
それはたとえば「ありがとう」とか、「ごめんなさい」とかそんなやつです。
咄嗟のお礼とか、本当に基本的な挨拶の部分で、「もっと丁寧にしないとな」と思うタイミングがあるんですよね。
挨拶を丁寧にしたい

自分でいうのもなんですが「挨拶はしっかりしよう」と意識しながら生きています。
でも、時と場合によっては結構適当になりがちです。
たとえば、日常の中で誰かになにかをしてもらったときとか。
日常の中に「自分の身を犠牲にして行われる小さな親切」ってあると思うんですけど、そういうものに対してしっかりお礼をしたいなと思うんです。
先日、家族で出かけている時、電車が満員だったんですよね。
そして息子が「座りたい~」と言うんです。
すると、近くに座っていたスーツを着た男性がスッ…と立ち上がって席を譲ってくれたんですよね。
私はこういうとき「ありがたい」よりも「申し訳ないな…」という気持ちが勝ってしまうんです(笑)
その男性はきっとこれから仕事で、一日働かないといけないわけですよ。
たまたまのラッキーで座ることができて、しばしの休息になったはずの移動時間を、見ず知らずの子どものために犠牲にしてくれたんです。
もうね、ちゃんと「気を付け」で立ってお辞儀をして「ありがとうございます。そしてすみません…」と伝えましたね。
この時はちゃんとできたので、自分に対して「ちゃんとできた」と評価したんですけど、普段からそれをちゃんとできているかは微妙なところなんです。
自己犠牲というか「誰かのために」でやってくださった行動に対して、しっかり真っすぐ向き合いたいなと思うんですよね。
気持ちをつないでいく

これは親のエゴなんですが、息子にこの時の出来事をただのラッキーで処理してほしくないと思いました。
自分のわがままに親切で応えてくれる人がいるということや、その親切を受け取った人が適当に流すのではなくて、態度や姿勢でしっかりと親切をくれた人に返していくべきだ。
というのを感覚的にでもわかってほしいなと思うんです。
(息子に対しては何も言ってませんが…)
親切な人は、しっかりとお礼をされたことで「まあ、席を譲るのも悪くないな。」と思ってくれたら、また誰かに優しくしてくれるかもしれない。
さらにいうと、その現場を見た人たちも「ちゃんと受け取ってくれる人がいるなら、次は誰かに譲ってみようかな」なんてことを思う人がいるかもしれない。
もちろんなにも感じない人もいるでしょうし、ほとんどがそういう人たちかもしれません。
でも、私の行動一つで誰かの親切を派生的につなげていける可能性があるなら、私としては迷わずそれをできる人でありたいんですよね。
お年寄りに席を譲ったときに「私が年寄りだって言いたいの!?」とか言ってる現場を見たら、誰も譲りたくなくなっちゃうと思うんです。
なので、ポジティブな気持ちから発生した行動については、なるべくそのままのポジティブさで次につなげていきたいなとか考えています。
まとめ
とはいえ、私は結構臆病でビビりな人間なので、人に親切にしたいと思ってもなかなか行動に移すことが出来ないことがあります。
泣いている赤ちゃんに困って、どうしようもなくなっているママとかを見ると「なにかできることはないかな…」とか思うんですけど、「変に声をかけると怖がられるかな…」とかいろいろ考えちゃって、行動できないことが多いんですよね。
そして「行動しない方がいいのかな?」というのが答えとして確立されつつある。
「ちょっと困ってそう」みたいな状況に対して、特にビビっちゃう節があります(笑)
「ちゃんと困っている人」は比較的、声をかけやすいんですけどね…。
これは性格だと思うのでなかなか変えていくのは難しそうです。
それでは今回はこの辺で。