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"生きる"ということ。私たちは人間として"生きる"ことを失っていないだろうか。

みなさんこんにちは。

最近「生きるとは、なんだろう。」ということをよく考えます。
私は「仕事をして、子どもと遊んで疲れて眠る。」というような日々を繰り返しているのですが、そんな中で「人として生きるって何だろう?」とふと感じる時があるんですよね。

今回はそんな中で感じたことを皆さんに共有していきたいと思います。
目の前の日々になんとなく疑問がある方の参考になれば嬉しいです。

生きるって、なんだ。

photo of two women eating
Photo by Nguyễn Khanh on Pexels.com

まずは根本的な話なんですが、みなさんは「生きる」ってどういうことだと思いますか?

ここは「人として生きる」という意味合いで考えてみてもらいたいんですが、物質的なところでいくと「生命活動を行うこと」が生きることに直結しそうですよね。
食べて、寝て、息を吸って吐いて、血を循環させること。みたいな感じです。

でも、私の感覚からするとこれらは「人として生きる」とは少し違う気がしているんです。
どちらかと言うと、上記のような活動によって「生きている」という感覚ですね。

それによって、体や精神を機能させることが出来るわけですが、ここまでの範囲であれば動物でも同じことが言えると思います。

肝心なのは「人として」という部分だと思っています。
ここは私たち人間が持つ能力であったり、知能や感情の部分が大きく関わってくるんじゃないかな?と思うんですよね。

そう考えたときに「ただ機械的に働いてお金を稼いで食べ物を食べて、生命活動を維持する。」ということに違和感が出てきました。
今の世の中を見渡した時に、なんとなく自分たちの生活が"社会"というものに動かされている感覚を覚えるのです。

人は社会システムを生かすためだけの存在か。

lighted city during night
Photo by Lina Mamone on Pexels.com

私はいま、平日は毎日仕事のために10時間くらいを消費しています。
ここには内訳があって、

・通勤に片道1時間(往復で2時間)
・仕事に8時間(休憩含む)
→計10時間

というような感じです。

私は生活を成り立たせるために、1週間のうち5日間(50時間)を仕事をするために投じているわけですが、そこから生み出されるものは一体どんなものなんでしょうか。

生活自体を振り返ってみると、お米や野菜を買うにも選びに選んで買っているような状態で、果物なんかほとんど買うことがありません。
衣服については基本的に古着ばかり(別にいいんですけどね)ですし、かなり節制された生活だと思います。
なんなら家族旅行なんてめったに行くことはできません。

この原因として、ひとつあげられるのが「手取りが少ない」ということだと思います。

私たちは稼いだお金からたくさんを税金で持っていかれるわけですが、改めて考えると結構痛いですよね(笑)
そして、その持っていかれた税金によって、私たちの生活が豊かになっているかと聞かれると、全くそうは思わない。
なんなら政府はこの上に「増税!」とか言っちゃうくらいのもので、本当にどうかしているとさえ感じます。

…政府批判はともかく、そんな毎日から感じるのが「時間にもお金にも余裕が無くて、働いて食べることで精いっぱい。」という感じなんですよね。

で、ここで最初の話に戻るんですが、私たち人間にとって「生きる」ってこういうことなんでしょうか。

毎日必死に働いて、そこで稼いだお金もたくさん持っていかれて。
将来にも安心することができず、これからもずーっと働き続けて。
その中で、なんとかかんとか「幸せ」という感覚を探し出すことが「生きる」ということなんでしょうか。

この"命"を自分のために使えているか

green grass field under white clouds
Photo by Anna Shvets on Pexels.com

私はこのブログを通して、幸せに生きるためのあれこれを発信しているわけですが、人生は自分が本質的な幸せを感じるためにあると思うんですよね。
もちろんそれは、奪ったり誰かを傷つけたりというのは無しで考える必要があるわけですが…

社会システムを例にとりましたが、基本的なところで、自分以外の誰か(何か)に強要される命があってはならないと思うんです。
それは極端に言うと"奴隷"とかがそれにあたります。

誰かに働くことを強要されて、自分の人生を生きることができない。
自分の幸せを探すための余裕すら与えられない。
そんなことがあってはならないと思うんです。

でも、実際のところそのような状況は2025年現在にもたくさん存在します。
そして日本においても、その状況に片足どころか下半身くらいは浸かっていると思っています。

生きることは「お金を稼ぐこと」ではないし、「誰かに何かを強要されるもの」でもないです。
生きることは、内から湧き出る生命の活力や知的好奇心によって成り立つべきだと思うんですよね。

なにかを「したい」とか「知りたい」とか「行ってみたい」とか「やってみたい」とか。
他者を傷つけず、奪わないということを前提に、それらの活動から幸せを感じられることが理想だと思うんです。

これは自分自身が「そうありたい」と思うのと同時に、自分の子どもたちや、善良な人たちにも同じように感じてもらいたいと思うことです。

まとめ

「生きる」って本来シンプルなもののはずなんですよね。
例えば、世の中に「お金」と「争い」という概念が無ければ、自分の幸せだけを考えるだけでいいんだと思います。

でも今の世の中は、お金に支配されていますよね。
生きるためにはお金が必要で、幸せになるためにもお金が必要だと、社会から思わされている節(ふし)があると思っています。

でも極端な話、私は心から大切だと思える人と一緒にいられれば、お金が無くてもいいと思っています。
自分たちで食べ物を作って、一緒にどこかへ出かけたりすることから幸せを感じることができれば、そこにお金の必要性が無くなってきます。

ただ、社会にはルールがあって、家を持つことにも、モノを買うことにも税金を課してくるわけです。
つまりはお金がないと生きていけないわけです。

私は、お金は取引のための"道具"であって、それの有る無しで生死が決定されるような世の中は間違っていると思うんです。

これらはすべて、国民が政治に興味を持ってこなかったことが原因だと思っています。
まずはまともな政治家を選ぶことから。

もし周りに選挙に行っていない人などがいたら、選挙に行くように伝えてほしいです。
日本の未投票率は有権者の約50%らしいので、この人たちが動けば、日本は動かせます。

というわけで今回はこの辺で。

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