みなさんこんにちは。
お盆休みが終わっちゃいましたね、悲しいです。
今回は日替わりのお題について書いていきます。
皆さんは日常的にポジティブな感情を感じながら生活を送れていますか?
私は割と日常的にポジティブな感情とともに生きられているように思います。
今回は日常に生じるポジティブな感情についてのお話。
日常に生じるポジティブな感情

たまーに、私の周りの人に「いま幸せ?」と聞くことがあるんですが、即答で「幸せ!」という答えが返ってくることって少ないです。
ちなみに私はというと、結構いつでも幸せを感じながら生きている実感があります。
「幸せ」というのもポジティブな感情ですよね。
他にポジティブな感情ってどんなものがあるんだろう…?ということについて考えてみようと思います。
例えば、楽しいとか嬉しいとかもポジティブな感情だと思います。
よくよく考えてみるとポジティブな感情の種類って少ないのかな?なんてことを思いました。
楽しいとか嬉しいとかとは少しジャンルが違うかもしれませんが「ありがとう」とか、感謝の気持ちもポジティブな感情ですよね。
感謝という感情

感謝というと人から何かをしてもらったときなどに「ありがとう」という言葉で返すことがイメージされるかもしれません。
でも感謝はそれだけで完結しないというか、もっと広い視点でとらえることができる感情だと考えています。
例えば、私は双子の息子と妻の4人で生活をしているんですが、毎日が感謝の連続だと感じることがあります。
妻について言えば、日ごろから家のことを進んでやってくれたり、息子の保育園関係もほとんどすべて任せています。
そのおかげで、私は仕事やお金を稼ぐことであったり、家族や息子たちの将来について考える時間を設けることが出来ています。
息子たちについて言えば、普段からとてもかわいい笑顔を見せてくれて、毎日幸せな気持ちにしてくれます。
もちろん大変なことも多いですけど、そんな大変さとは比べ物にならないくらいの幸せをもらっています。
妻に対しては至極普通な感謝かもしれませんが、息子に対する感謝についてはもはや息子の存在に対するものです。
息子は私に対して「何かをしてあげよう!」という感覚では接していないと思います。
でも私には感謝という感情が確かにあって、この感情の出どころは一体どこなんだろう…?なんてことを考えました。
感謝の出どころ

感謝という感情を見つめてみたときに、自分自身が満たされているという感覚がベースになるのかな?ということを感じました。
例えばですけど、自分が「この世で一番不幸だ」と感じている時にはあらゆるものに感謝できなくなるのかな?みたいな話です。
これは言い換えれば、自分自身が幸せであることが、感謝という感情を発生させやすくなるというようなことにもつながってくるように思います。
ただ「なにかに感謝をするために、自分自身が幸せを感じて生きる」というのは、あまりメリットを感じませんよね。
「人はみな誰かに感謝して生きなあかんのかい!」みたいな反論があって然るべきかと思います。
ただ感謝と幸せの関係性については、先ほど述べたものとは逆転して考えることが出来ると思っています。
つまりは「感謝して生きることが、自分自身の幸せにつながる。」みたいな話です。
人は慣れる生き物で、幸せという感覚にも次第に慣れていきます。
「親がいる」ということも大体の人は当たり前のこととしてとらえていると思いますが、ある時急に親が亡くなって初めて、それまで当たり前に展開されていた日常に疑問を抱くようになります。
「親っていつか死んでしまうんだ。」とか「友達って、ずっと友達でいてくれるわけでもないんだ」みたいなことです。
今目の前に広がっている「当たり前」に向き合えた時、自然と感謝の感情が湧いてくると思っています。
そうなったときに、自分の身の回りにあるものが「当たり前」ではなくて「ありがたいもの」に変化します。
感謝は自分の日常への認識が変わったときに、自然的に発生してくるものだと思います。
そして感謝が自然に生まれてくるころ、日常に幸せを感じやすくなる。というお話でした。
まとめ
「今」を振り返ってみたときに、いろんなものが簡単に手に入るようになりました。
スマホとお金があれば、家に欲しいものが翌日に届く。
欲しい情報があれば、スマホをタップすれば手に入る。
こんなに便利な日常を生きているのに、なぜ幸せを感じにくいんだろう…?みたいなことをよく考えます。
きっとこれも「慣れ」が原因で、現代人はみんなそんな便利さに慣れてしまって、幸せの感覚が狂ってきているんじゃないかな?と思っています。
たまには便利なものから離れて、自分の「当たり前」に目を向けるものいいかもしれません。
これがある意味では日常にポジティブな感情を呼び起こすヒントになると思います。
それでは素敵な人生を。