みなさんこんにちは。
春になりましたね。
春といえば、新生活だと思います。
進学や進級、就職なんかもあると思います。
今回は環境の変化に伴って、私が感じていたことについてお話をしてみようと思います。
「新生活嫌だな~」と思う人は、ぜひ読んでみてください。
新生活に対して感じていたこと

私は昔から新生活というものがあまり好きではありませんでした。
というか、生活の土台部分に関わるようなところが、変化することに苦手意識を持っているんだと思います。
進級とか就職とかをすると環境がガラッと変わりますよね。
それに伴って人間関係も変わるし、自分を取り囲む要素が大きく変化するような気がして「面倒だなあ」と感じていました。
進学とかだと仲のいい友達がいなくてソワソワしたり、仕事だと何をしたらいいのかわからなくてソワソワしたり。
これからやることが見えていなかったり、どのようにその場にいるのが適当なのかがわからないと、落ち着かない気持ちになるんです。
私はこういう性質を昔から抱えていたので、新生活に臨むときは、まず「自分の安心」をつくるようにしていました。
こころの安定剤

いうなれば、新しい環境でやっていくために「これがあればとりあえず大丈夫だろう」みたいなものを用意していたんです。
例えば、「とりあえずでも話せる友だち」とか、「一人になれる場所」とか。
そういうものを自分の中に持っておくことで、なんとなく自分のことを落ち着かせていたように思います。
小学生の頃はあまり意識していませんでしたが、中学、高校、大学では学校の中に「自分が落ち着くためのなにか」を持っていました。
それが一つあるだけで、あらゆることに対して「まあいいか」と思える気がしていたんだと思います。
恐らく私は新生活において、いつも不安を抱えていたんだと思います。
「困ったときはどうしよう」とか「馴染めなかったらどうしよう」とかそんな感じです。
でも「自分が落ち着くためのなにか」があれば、「あそこに行ってボーっとしよう」とか自分の中にいざという時の選択肢ができるので、そんなものに頼っていたんだと思います。
学校に行く必要性

私は昔から学校があまり好きではありませんでした。
人が多いし、面倒な人間関係が多いし、尊敬できる先生なんてものはいないし、勉強も意味があるのかどうかもわからないし、「とりあえず行かないといけないところ」という感覚でした。
(高校くらいからは楽しみながら学校に行っていた気がします)
小学生や中学生の頃なんかは、そこに自分の社会があって、「ここでうまくいかないなら、自分はダメなんだろうな。」という変な恐れを持っていたように思います。
でも、大人になってから感じるのは「学校なんて、別に行きたくなければいかなくてもいいんじゃない?」ということです。
勉強なんて独学でなんとでもなるし、どれだけいい学校に行ってようが、ろくでもない大人はたくさんいます。
学校でしか学べない、今も役立っていることといえば「集団に合わせる」というスキルくらいのものです。
周りの様子をうかがって、自分がいまどのように過ごすのが適当なのかを見極めるようなことなんですが、ある意味ではこれも「必要ないなあ」と思っています。
この枠、あの枠

人は常に何かしらの枠の中に入ることで安心する生き物だと思います。
それは学校だとか会社だとか、社会だとか友達の輪の中だとか、そんなものです。
自分が今いる「枠」からはみ出ることを、極度に恐れたりするんですが、世の中には枠がたくさんあるんですよね。
別にその枠は学校じゃなくてもいいし、会社じゃなくてもいいし、今目の前にいる友だちじゃなくてもいい。
目の前にあるものが全てだと思ってしまう時があるんですが、世界は目の前以外の方が広いわけです。
昔は新しい環境に飛び込むときに「うまくいかなかったらどうしよう」みたいなことを思っていたんですが、
別にうまくいかなくてもいいんですよね。
その枠が自分に合わなければ出ていけばいいし、自分にとって心地いい「枠」を探せばいい。
社会という存在は、枠に収まることや、一度入った枠に合わせることを求めてきますけど、
自分らしく生きられるのが、人として一番大事なことだと思っています。
まとめ
最近息子が保育園で進級したんですが、環境が変わることをすごく嫌がっていたんですよね。
「変わりたくない」「このままがいい」と言っていたんですが、私としてはすごく気持ちがわかる反面「保育園に行ってくれないと困るなあ」とかを思うわけです。
息子たちに対して「しばらく行ってみて、それでも嫌なら動きを考えようか。」とか言ってあげられたらいいんですが、そういう選択肢を用意してあげられないことがもどかしいです。
「もっと自由に仕事ができたらなあ~」とか「でも、嫌なことに向き合うことも必要だよな~」とかいろんなことを思ってこの記事を書きました。
とにかく「今がうまくいかなくても、それは人生単位で見たら大したことないので、なんとでもなるよ。」ということが言いたかったわけです。
この記事がだれかの参考になれば幸いです。
それでは素敵な人生を。