みなさんこんにちは。
今回は子育てについて書いていきます。
最近…というかずっと前からですね、子育てをしていてよく感じることがあります。
それは親視点で子どもを見た時、子どもはまるで自分を映す鏡のようだということです。
意味がわからない人も納得する人も半々くらいいると勝手に想像しています。
生まれたての赤ちゃん

大体の場合、自分の子どもは0歳から育てると思います。
(もしかすると仕事の関係とか、いろんな事情の兼ね合いで0歳から育てない場合もあるかもしれません)
0歳の赤ちゃんって本当に何も知らない、真っさらな体と心で世界を見つめるんですよね、当たり前ですけど。
見つめると言うよりはそこに存在すると言った方が近いかもしれません。
ただ目を開いてそこに存在するだけ。
「見る」という意識すらも芽生えてはいないと思います。
その赤ちゃんをそこから親、あるいは親代わりとなる人が環境や親の愛情などいろいろな要素を混ぜて育てていくわけです。
鏡で言うと、0歳の赤ちゃんはまだ形も大きさも決まっていない「これから鏡ができるのかあ」の段階です。
鏡ができるまで

そこからは子育てが始まります。
それと同時に鏡が組み立てられていくわけです。
子どもは日々いろんな要素を吸収して大きくなっていきます。
その大部分は子どもが育つ環境によるものです。
例えば、どれだけ愛情を注いだか、家が片付いているか散らかっているか、親や周りの人のモノの扱い方から言葉遣い、さらには親の周りの人に対する接し方や表情など。
とにかく子育てをする上で構成される環境の要素全てです。
何も持たない赤ちゃんが本質的に身につけていくものが、この環境要素です。
そしてこれらの要素を組み立てて、一つの鏡ができあがっていきます。
鏡に映るもの

大体、2〜3歳くらいでしょうか。
子どもに鏡の要素を感じるようになります。
子どもが話す言葉や表情、モノの扱い方などで「え…ほんまに親のことよく見てるな」と感じます。
ある日の出来事なんですが息子が私に対して「あー、はいはい。なるほどね。」と言ってきました。
その瞬間かなりドキッとしたんです。
なんとなくその瞬間に「あ、これは自分が普段言ってしまっていることかも」と思いました。
息子に「もしかしてそれパパが言ってる?」と聞くと、「パパが言ってることだよ?」と言われました。
自分の言動を振り返ってみると、とある面倒な出来事が起こったとき、その状況の分析が終わった時にこれを言っているようでした。
例えば、子どもがご飯をめちゃくちゃこぼしているのに気づいて、食べ方に問題があると気付いたときなどに「あー、はいはい。なるほどね。」と自分の中で原因と結果が繋がったときに言ってしまっているようです。
私は子どもからその言葉を言われた時になんとなく嫌な気持ちになりました。
でもそれは子どもも同様で、私からその言葉を言われる時嫌な気持ちだったと思います。
それに気づいた瞬間に「ごめんね、その言い方嫌な気持ちになるね。パパもうそれ辞めます。」と謝りました。
それからは辞めれてると思います(多分…)
子どもの言動を通して、自分の嫌な部分を見た瞬間でした。
まとめ
私は「面倒だな」と感じた時に、相手への配慮を欠いた言動をしてしまっているようです。
そもそも相手はまだ3歳なわけで、全てがうまくいくわけないんですよね。
大人でもミスはしますし、「こうすればできる」と思っていてもできないことだらけです。
なんなら集中を切らして簡単なことで失敗することもあります。
子どもは自分の嫌なところも純粋に吸収していくようです。
そして鏡のように自分の嫌なところを映します。
子育てを充実させるために、まずは自分自身が納得できる振る舞いを日々し続ける必要があると思いました。
悪いところは直せばいいわけで、子どもは自分の悪いところを日々の言動を通して教えてくれます。
親である私がそれに気づいて改善できたとき、子どもも親も大きく成長するのかな?と感じました。
親ってやることが多いですよね。
子育てだけでも結構ハードです。
その上、仕事をしたり、家事をしたり、将来の計画を立てたり…それはまあ大変です。
でも大変な分、得るものも大きい。
サボろうと思えばいくらでもサボれますけど、子育てをしんどいだけのものにしないためにも「頑張らないとなあ」と思いました。
また何か気づきがあれば共有したいと思います。
それでは、素敵な子育てを。