みなさんこんにちは。
今回は子育て関連のお話です。
唐突ですが、息子たちは私の友人が大好きです。
その友達は私と同い年(31歳)の男性。
私が子どもを育てていて感じるのは、子どもに好かれる大人の男性って少ないなということです。
しかし私の友達はめちゃくちゃ好かれています。
そんな時に「なぜこんなに息子たちに慕われているんだろう…?」というようなことを考えたので、そこで感じたことをみなさんに共有していきたいと思います。
子どもに好かれている大人

身の回りの子どもに好かれている大人を考えた時に共通していたのが「いい意味で子ども」だということです。
かくいう私も子どもに好かれるタイプの人間で、私自身いい意味で子どもだと思っています。
良い意味で子どもというのはどういう人を差すのかという話ですが、「遊びに夢中になれる人」のことです。
子どもの興味に寄り添う

大人になるとできることも知っていることも多いので、子どもの遊びに対してどこか手抜きになってしまう部分があると思います。
でも私の友人に関しては真っ直ぐ子どもの興味に寄り添ってくれているように感じました。
一緒にブロックをして遊んでいる時も、子どもが作ったものにちゃんと関心を持ってくれるんですね。
「これなんなん?」とか「これは何ができる車なん?」とか、子どもも自分が作ったものに興味を持ってくれるのが嬉しいようで、「え〜、これは〇〇やで!」とか嬉しそうに言ってます。
これは大人も子どもも共通していることだと思うんですが、自分や自分のしたことに興味を持ってくれるということが嬉しいんだと思います。
自分に無関心な人よりも、自分と同じ温度感でその場の空間を楽しんでくれる人というのが単純に心地いいのかな?なんてことを思いました。
人と接する、たった一つの心得

結局のところ、子どもか大人かという部分は特に重要ではなくて「その人に興味を持つ」というのが大切なんだと思いました。
今回私の友人を例に出したんですけど、よくよく考えると子どもも大人も関係なく、友人に対して「人から好かれているなあ」と感じる場面が多いです。
私自身、その友達といる時間は心地いいんですよね。
普段からどんな話題にも柔軟に対応してくれるので「聞き上手だなあ」と感じることが多かったんですけど、息子たちと接している友人を見て「相手が子どもでも、人と真っ直ぐ向き合っているなあ」と感じました。
まとめ
私自身、大人になってからいろんなことが「雑になっている」と感じます。
それは物事への向き合い方や、興味の持ち方だとかそんな話なんですけど、過去の経験から目の前にある物事の限界を勝手に計ってしまうんですよね。
例えば「ブロック遊びなんてこんなものだろう」みたいな感じで、枠の中に収まりに行くような考えになっているんだと思います。
でもそうではなくて「このブロック遊びをいかに楽しむか」という見方ができれば、残りの人生であらゆる出来事が楽しめるようになりそうだと感じました。
普段からよく感じることですが、子どもは純粋に世界を見ています。
私も同じように純粋に世界を見ていかないと、子どもの成長に置いていかれちゃいそうだなと感じました。
もっと子どもと同じ視点で物事を見れるように頑張りたいです。
それでは素敵な子育てライフを。