みなさんこんにちは。
今回は日替わりのお題について書いていきたいと思います。
私は今年32歳になりました。
世間的にはもう立派な大人ですよね。
これは個人的な感覚かもしれませんが「大人になった」と感じる瞬間は、段階的に?何度かあったように思います。
大人って、なんだろう?

まずは大人がどういう状態を指すのか、みたいな話からしていきたいと思います。
日本ではとりあえずの形として、二十歳をすぎたら「成人」として扱われますよね。
お酒も飲めるし、タバコも吸える。
(別に飲む必要も、吸う必要も無いですが)
ただ、自分の二十歳の頃を振り返って思うのは「子どもだったなあ」ということです。
特に責任を抱えて生きているわけでもなかったですし、自分のやりたいことを親のサポートを受けながらしているような状態でした。
成人とはあくまで、肉体的な成熟具合を指すものだと考えています。
つまりは成人したからと言って「大人である」とは言い切れないと思うんです。
それなら「大人とはどういう状態を指すのか」という話ですが、心身の成熟がポイントになるんじゃないかな?と思います。
心身の成熟

体については先ほども述べたように、二十歳を過ぎたら大人という扱いでも問題ないと思います。
ただ、精神的な部分については二十歳を過ぎたからと言って、成熟するものでもないと思っています。
「精神の成熟ってなに?」と思われるかもしれませんが、私なりの言い方をすれば「自分の発言と行動に責任を持てるかどうか」という感じでしょうか。
例えば、日常的な話でいうと「約束を守る」とかそんな話です。
「やる」と言ったのに、やらないとか。
やらないとしても、しっかり説明とフォローができるかどうかが精神的な成熟に関わってくると思っています。
「誰かがなんとかしてくれるだろう」という感覚のうちは、まだまだ自分自身の人生に責任を持つ覚悟ができていないのかな?とか。
こんなことを言うと、「大人」という言葉にハードルを感じるかもしれませんが、いきなりすべてをうまくやる必要はないと思っています。
何かができていないと感じたなら、それを改善するための動きをとるとか、成熟に向かっていく動きが重要になると思っています。
私は大学を卒業してから実家を出て、自分で生活を組み立てるという経験をしました。
当時は役者を目指していたので、アルバイトをしながら自分で創意工夫しながら芸能関係の仕事を取ってくるなど、とにかく自分でなんとかしないと誰もなにもしてくれないわけです。
親に「仕事が無い~」と言ったところで、芸能の仕事を用意してくれるわけもありませんし、そういう環境に身を置くことによって、自分でモノを考えるようになるんですね。
そう思うと、役者を目指して活動していた時期は自分の精神的な成熟に関してかなり重要な時期だったように思います。
大人だと実感するとき

前置き?が長くなりましたが、私が「大人になった」と実感するのは「誰かのために」を意識できている瞬間なのかなと思います。
それは例えば子どものためだとか、街中で困っている人を助けたりとかそんな話です。
私自身、常に人助けや「誰かのため」ということを念頭に置いて生きられているわけではありません。
精神的に余裕が無いときは、自分のことだけでいっぱいいっぱいですし、人のことを考えている余裕もありません。
でも、自分の心に余裕ができると人のことを考えることが出来るようになります。
最近でいうと、子育てをしている中で特に精神的な成長を感じます。
「子どもの将来に責任を持つ」とかは無理かもしれませんが、自分の息子たちが大きくなったときに困らないようにするためにはどうしたらいいか、ということを考えながら生活をしたりとか。
こういうことは自分に子どもがいなかったら考えることは無かっただろうな、と思います。
子育てはある意味で自分を大人にさせてくれるというか、自分の成長を感じるので「意味深いなあ」と感じますね。
まとめ
今回は私が大人になったと感じる瞬間について書きました。
大人の考え方は人によってそれぞれだと思うので、この考え方が正しいとかいう主張では断じてありません。
ただ、自分の中で「どういう大人でありたいか」ということについて考えてみるのはとても大事なことのように思いました。
人から立派だと思われるような生き方をする必要はありませんが、私はできるなら「こんな人になりたい」と思われるような生き方をしたいと思います。
それはきっと自分が生きていることを実感したり、自分を肯定する一つの要素になるのかなという風に思いました。
もしよければ皆さんも一度考えてみてください。
それでは素敵な人生を。