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今生きているすべての人へ。「生き方」のはなし。

みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。


今回の記事は「今生きているすべての人」に向けての記事になります。
おおよそ対象外の人はいないと思っています。

超ざっくりになりますが生き方の話です。
学校では習わないし、だれも教えてくれないことだと思っています。

人生の生き方については、基本的には自分で気付かないといけないことで、忙しい日常を過ごす中でそれに気付ける人はあまりいないと感じます。

自分も含め、今生きているすべての人へ。

grayscale photo of the crucifix
Photo by Alem Sánchez on Pexels.com

「今あなたは幸せですか?」

この質問だけを見ると新興宗教の勧誘みたいで超胡散臭いと感じられるかもしれません。
でもめちゃくちゃ大切なことなのでもう一度聞きます。

「あなたは今幸せですか?」

今日はこの部分について掘り下げていくつもりです。
今日までなんとなく生きてきたのなら、きっと自分の人生について考えるいい機会になると思います。

ちなみですが私は今幸せです。
理由を話せばいろいろとありますが極論で行くと、今生きているから幸せです。

「なにを言うとんねんこいつは。」と思われるかもしれませんね。
長くなるかもしれませんが解説をしていきます。

あなたは「幸せになりたい」と感じたときにまず何をしますか?
一度よく考えてみてください。
これに関しては十人十色の答えが返ってくると思っています。

「お金をかせぐ」
「お酒を飲む」
「恋をする」
「SEXをする」

極端な話あなたにとっての「幸せの形」はなんですか?という話です。
おおよそですがお金、恋愛、地位、名誉の類での返答が多いんじゃないかな?と勝手に想像しています。

確かにお金があったら大体のことができますよね。


好きな場所に行ける、働かなくていい、なんなら美男・美女を近くに置くことができるかもしれません。

でもよく考えてもらいたいのは「その先」です。
お金によってそれらを手にした後、あなたにもう一度同じ質問をしたいと思います。

「あなたは今幸せですか?」

私の場合、これらを先の先までリアルに想像したときに虚しくなりました。
お金の力でどこへ行こうと何をしようと、それらが体験として「過去」のものになってしまえば「今」はそれらの要素から充実感を得られず、別の何かを求めるようになるんです。

ざっくりと中身を説明するとこんな感じです。

欲を解消

達成による喪失感

次なるものを求める

欲を解消

(以下ループ)

簡単に言えば欲求の無限ループですね。
一時的に幸せになったと思えば「あれ・・・?足りない」と感じて次の欲求へ。

でもこれは普通の事だと思います。
これらの動きを通して人は欲求やら幸せについて考え始めるんだと思いますが

過程として長すぎますよね。

そんなこんなしてるうちに人は死にます。
幸せが何かわからないうちに死んでいきます。

さらに言えば死に際に自分の過去を振り返って
なんとか幸せの要素を振り絞るのが精いっぱいだと思います。

もちろんそれで「あぁ、いい人生やったなあ」と感じられたならオッケーやと思います。
でもそれは自分が死ぬその日まで、自分が幸せだったかどうかもわからないということでもありますよね。
私はこれを考えたときに「こんな感じで終わるん嫌や」と思いました。

なので今あなたに質問をさせてください。

「あなたにとっての幸せって何ですか?」

よくよく考えてみると難しい質問ですよね。
リアルに想像したときに、お金でもない、地位でもない、名誉でもない、恋愛…?

恋愛はちょっと引っかかる部分がありませんか?
(もちろん個人差があると思いますが)
たとえば心から好きな人と一緒にいれるときって幸せですよね?

他に何もいらない。
日常の嫌なことも視界に入らない。
ただこの時間が一生続けばいいのに。

こんなことを感じたことはないですか?

「感じたことがない!!」

と思う人は対象を人間、異性とかに限定せずに考えてみてください。
たとえば大好きな犬や猫でもいい。
あるいは作品や、何かに没頭している「時間」でもいい。

なにかを好きでそれに集中している状態を想像してもらいたいんです。
これって「幸せ」じゃないですか?

好きなもの以外は意識の外。
自分の体の外も内もすべてがあなたの好きだと感じている「対象」でいっぱいになっている時間です。

「この時間が一生続けばいいのに」という感覚と、「このまま死んでしまっても構わない」の感情が同居している状態です。

ここまで大げさな表現をしてしまうと「いや、そんな瞬間は今まで無いわ」と言われそうですが、そう感じているうちはある意味「欲求のループ」の中にいるわけです。

「今よりもっと幸せな現実がある・・・!」と思っている状態なので先ほど出した欲求のループの「次なるものを求める」の局面ですよね。

ではここらで次のお話。
「ほんなら幸せになるにはどないしたらええねん!!!」と思いますよね。

私なりの答えは今満たされているということに気付くことでした。

満たされているということに気付く

sportive woman with bicycle resting on countryside road in sunlight
Photo by Andrea Piacquadio on Pexels.com

またしても新興宗教くさいですよね、わかります。
ちょっと具体的に話していきます。
「一体なにが満たされてるねん!」と。

自分の日常を見渡した時に羨ましく思うことがきっとあると思います。


自分よりかっこいい人がいる
自分よりかわいい人がいる
自分より裕福な人がいる
自分より才能にあふれた人がいる

考えれば考えるほど自分は足りないものだらけですよね。
どんどん自分が嫌になっていく人もいるかもしれません。

でもここでよく考えてみてもらいたいんです。

何かに没頭している時間の幸福度はこの世に自分より優れた人が存在していることが関与してきますか?

恐らく関係ないんですよね。
というか、好きなことや人やモノに超集中しているときに自分よりかっこいい人やかわいい人の事考えないと思います。

「いや~、常に嫉妬の感情は顔覗かせてるなぁ。」という人は、対象に集中ができていないかもしれません。
私は私の感覚でしか生きたことがありませんが、集中している時間というのは自分と対象が一つになっているような状態です。
好きな物事に集中して、対象との一体感を得ることができたとき、人は幸せを感じることができると思っています。

つまり幸せというのは個人の中で生じる感覚であって
その他外野の関与は受けないものなんですね。

幸せになるために大切なのは自分の外側の環境ではなく、
自分自身の内側に展開している世界なんだということがわかると思います。

つまりは自分がその状況に幸せを感じることができるかという部分が重要になってくるわけです。

幸せを感じるということ

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Photo by Vija Rindo Pratama on Pexels.com

さて、ここで最初に戻ります。
私は生きているから幸せです。

私には体があり、幸せを感じることができる感情があります。
極端にいうとそれだけで十分なんですよね。
それだけあれば人は幸せを感じることができるわけです。

つまり幸せを感じることができる状況に幸せを感じているわけです。
(禅問答みたいですね。)

死んだらそもそも幸せなんてものは感じません。
逆に不幸も感じないわけなのでで、今継続的に不幸を感じている人は死んだほうがいいのか?という話になりそうですが、決してそうでは無いです。

私は人生において重要なのは「視点」と「立ち位置」だと思っています。

視点と立ち位置

white clouds and blue sky
Photo by Stanislav Kondratiev on Pexels.com

不幸な点しか見えないのであれば立ち位置を変えればいいんです。
なにも耐え続ける必要はないです。

人間は生きている限り常に選択をし続けないといけません。
常にそれは「正解」と「不正解」、「幸」と「不幸」の可能性を孕んでいます。

逆に言えば人間は生きている限り選択することができるわけです

「正解」も「不正解」も自分次第。
「幸」も「不幸」も自分次第。

なにしろすべては自分の中に展開される世界が決めることなんですから
自分で好きなものを選び続ければいいんです。
あなたにとってワクワクするものや、心躍るものを追求し続ければいいんです。

それが人なのかモノなのかなんなのか、それは人によると思います。
10人いれば10個の答えがあってもおかしくないです。

よく愚痴や過去のつらい体験を話したがる人がいます。
もしそれをあなたがしてしまっているのなら、それは今すぐやめたほうがいいと思います。

なぜならそれは自分が過去に感じた嫌な体験を追体験しているに過ぎないわけです。
嫌な過去を思い出したらまた嫌な気持ちになりますよね。

実際に起きた出来事は過去に過ぎ去ったその一地点で終わっているはずなのに
現在そしてこれからもその過去に起こった出来事に自分の意志で、自分の選択で苦しみに行ってるわけです。

人生が非常にもったいないですよね。

誰しも心の中では幸せになりたいと思っているはずなのに
取っている行動は自ら苦しみに行くというものなんです。

なぜこういうことが起きるかというと、生き方について誰もヒントすら教えてくれないからだと思っています。
なので今回、私の人生の中で気付いたものをみなさんに共有したいと思いました。

考えてみてもらいたいのが、人生が80年あったとして幸せを感じる時間は1秒でも多いほうがいいとは思いませんか?

考え方によっては、愚痴や過去のつらい体験について話すだけの行為は自分の80年の人生に苦しみの時間を追加しているだけなんですね。
今日から意識的にやめていくことをおススメします。

愚痴をやめるとしてその後どうしたらいいのか。
基本的な行動として自分にとって良いものを見るようにするのがいいと思います。

私にとって良いもの

white daisy flowers
Photo by Maria Victoria Portelles on Pexels.com

自分にとって良いもの、いい人、好きなもの。
自分にポジティブな感情を生じさせるものですね。

なるべくなら人の良い部分を見るようにしてみてください。
自分の日常において良いものを探してみてください。
自分が心地いいと感じる時間を大切にしてみてください。
自分が好きだと感じる人に「好きだ」と伝えてみてください。

人はいつか必ず死にます。
私もそのうち死にます。

だから大事な人は超大事にしたいと思います。
そして嫌いな人には見向きもしないです。
というか関わりを断っています。

なぜなら人生単位で得るものがないから。

人は本当にある日急に亡くなったりします。
嫌いな人に使う時間なんてないです。
苦しみに使う時間なんてないです。

命は有限で、タチの悪いことに当の本人ですら死のタイミングを知らないんです。

だから明日死ぬと思って、あなたの好きなものに時間を使ってください。
自分の身の回りの良いものを探してみてください。

きっとこれからの人生で見えるものが大きく変わってくると思います。
なぜなら視点が変わったから。

そして自分がそれに気づいて行動できたとき、
新たな立ち位置で物事を見ることになるはずです。

人はいつか必ず死ぬ。
そしていつ死ぬかは誰にもわからない。

今を生きる

father hugging and kissing his daughter in a mountain landscape
Photo by Josh Willink on Pexels.com

だから今を大事にするんです。
今身の回りに大切に思う人がいるならそれはものすごい奇跡だと思います。

いつ死ぬかわからない状態で、生きた状態でその人に巡り合えたこと。
そしてその人の大切さに気付けたこと

あなたは超幸せ者だと思いますし、今あなたは幸せになる条件をすべてを持っていると思います。

生きている限り様々なことが起こります。
それを良いものにするも、悪いものにするも自分自身です。
あなた自身の見方や感じ方で人生はガラリと色合いが変化します。

長くなりましたが生き方の話でした。
今日はふと人の死について考えたので、メモとして、自分への戒めとして記事にしました。

もしだれか一人にでも新しい視点を提供できたなら幸いです。

それでは素敵な人生を。

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