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人が「死ぬ」ということ。私が死から学んだ大切なこと。

みなさんこんにちは。

今回は結構重たい話です。「死」について書いていきたいと思います。

人は生きている限り必ず死にますし、大事な人の死と向き合わなければならない時がきます。
必ずやってくる出来事なのに、誰も死との向き合い方を教えてはくれませんでした。

誰の役に立つかはわかりませんが、私が人の死から学んだことを伝えられたらと思いこの記事を書くことに決めました。

重い話ではありますが、死について考えることはとても大事なことだと思います。
すこし長くなりますがもしよければ読んでみてください。

死ぬということ

flowers marguerites destroyed dead
Photo by Gratisography on Pexels.com

私が最初に経験した身近な人の死は友達の死でした。
生まれてからでいうと祖父母の死も経験しているはずなのですが、私自身幼かったということもあり記憶には残っていないです。

友達が亡くなったのは小学生の頃でした。

まだ精神的にも未発達で「死ぬ」ということがどういうことかはわかっていつつも、それが自分にどういう影響をもたらすのかまではいまいち理解ができていませんでした。
それまで当たり前のように毎日学校で遊んでいた友達がある日急にこの世からいなくなってしまうわけです。

感情としては悲しみというより混乱の方が強かったように思います。
「もうその友達とは遊べなくなってしまった」という事実は理解できても、気持ちのやりどころやその気持ちをどう表現したらいいのかは全くわかりませんでした。

体の中をゆっくりとかき混ぜられているような混乱と「友達が死んでしまった」という言葉が宙に浮かんで、ただそれを眺めてぼーっとしているような状態でした。

それから月日が経ち、いろんな「死」を経験したように思います。
ペットや知り合いの死も経験しました。

その様々な死を経験してもなお、なんとなく「死」というものがうまく飲み込めない自分がいたように思います。

頭が悪いのか、感情が欠けているのか、なんなのかよくわかりませんがなんにせよ死については混乱という感情が一番強かったです。
ただその中で一番私に大きく影響を与えたのは父親の死でした。

父親の死

man holding girl while walking on street
Photo by Paweł L. on Pexels.com

ある日父は急に亡くなりました。

私は当時東京にいたので兄からの電話でその報せを受けました。
つい最近元気な姿を確認していたので、電話口で何を言われているのかがうまく飲み込めずとりあえず「帰ってきてほしい」という指示に従うことにしました。

急いで新幹線に乗り込んで地元に着く頃には辺りが暗くなっていました。
「お父さんが亡くなった」という言葉を飲み込めず、ずっと口の中に抱えたままのような心地悪さがあったように思います。

兄の迎えがあり、車で詳しい話を聞きました。
とはいえ「昨日いつものように寝て、そのまま朝は起きてこなかった」ということ以外はわかりませんでした。

私はまだ父の遺体も確認していませんし、心のどこかで「そんなバカな」と思っていました。

葬儀場に父の遺体が運ばれたとのことで、家族で葬儀場に向かうことになりました。
なんとなくボーッとした頭のまま遺体が安置されている場所へ案内され、父の姿を確認しました。

でもそこに父はいませんでした。

そこにあるのは父が生前まで使用していた体のみで、人としての父の気配がゴッソリと抜け落ちていました。
顔は青白く変色し、体は見た目でわかるほどに冷たく、硬くなっていました。

なんとなくこの時「あ、人が死ぬというのはこういうことか」という感覚がありました。

今まで自分を育ててくれて、そしてこれから恩返しをしていくつもりだった人がこの世界に存在しなくなったと感じた時に涙が溢れて止まりませんでした。

小学生の頃は死というものを過去と現在でしか捉えられていなかったように思います。
「今まで遊んでいた友達と今日も遊べない」という感覚でしょうか。

心のどこかでいつか「久しぶりやん!!」とか言って現れるんじゃないかな?とか淡い期待をしていたのかもしれません。

しかし大人になると死の捉え方も変わっていたようです。
死というのはその人との「未来」もゴッソリ持ち去ってしまうんですね。

その人との「これから」が綺麗さっぱり無くなってしまうのです。

父が亡くなった日は私の出演する番組がテレビ放映される日でもありました。
本当であれば「今日テレビ出るで〜」などと報告をして「映画に出ようと思ったらまだまだ頑張らなあかんな!」と父から言われることだったでしょう。

でもそんな当たり前にやってくると思っていた日常すらも叶いませんでした。

その時私にできたことは父の遺体に自分の出演した番組の録画を見せてあげることだけでした。
何も反応がないのはわかっているはずなのに、心のどこかで「今回は長いこと出てるやん!」とか言ってくれるんじゃないかな?とか思っちゃうんですね。

でも反応はありませんでした。
テレビの音が虚しく鳴り響くだけです。

父は私の一番のファンでいてくれたはずの人でした。
でもこの瞬間、私のこれからを一番楽しみにしてくれていた父はもうこの世にいないんだな。と感じました。

悲しみの乗り越え方

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バタバタと父の葬儀が終わって、それからはだんだんと日常に戻っていきます。
自分にとっては大きな出来事でも世の中は無関心に動いていくんだなと思いました。

父が亡くなったことで「私は父に対して今まで何ができただろう…?」ということを考えるきっかけになりました。

果たして私は父に何を返せたんでしょう。
考えても考えても与えてもらってばかりだったんだなという気持ちになり後悔の念ばかりが湧いてくるんです。

「もう恩返しはできない」

そんな言葉を目の前に突きつけられて私は身動きが取れなくなっていました。
恩返しなんてものは生きている人にしかできないわけで、今から私が父に対してできることなどないのです。

その当時は年末で、地元に帰る気にもなれなかったので東京に残ることにしたんですが、そのことを友達に伝えると「ほんなら東京行くわ!」と言ってくれたんですね。

ありがたい気持ち半分、ワイワイとする気になれない気持ちが半分。
複雑な気持ちのまま友達が東京にやってくることになりました。

気分は沈んでいますし「なんだかなあ」とは思いつつも、友達がきてくれたことですごく救われた気持ちになりました。
なんだかんだで友達と過ごす時間は楽しくて、そこにきて久しぶりに笑ったような気持ちになりました。

父が亡くなったことで夢を追いかけている自分になんとなく後ろめたい気持ちがあったのかもしれません。
その時気付いたんですが父が亡くなってからあまり笑ってなかったんですね。

東京に友達があまりいなかったからということもあるかもしれませんが、そのとき久しぶりに笑ったような感覚になったのを覚えています。

今目の前には自分のことを気にかけてくれる人がいるんだなと思うと、生前の父に恩返し出来なかったことを悔やんでいる自分は正しいのかな?と感じるようになってきました。
ある日急に父が亡くなったことは悲しいことですが、父のために悲しみ続けるということを父が望んでいるのか…?と思い始めたんですね。

大切な人の死を乗り越えるのは簡単なことではないのかもしれません。
でもその人の死を理解して、その死が自分自身にとってどんな意味があるのかを感じられたとき、死の悲しみは大きく和らぐんだなと感じました。

「死」が教えてくれたこと

person s holds brown gift box
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私は父が亡くなってから「生前の父に対してできなかったこと」ばかりを考えていました。
でもそれはどうも違うように思えてきたのです。

もちろん間違いではないんですが、それを考えるだけでは今の自分は何も変わらないんですね。

私に必要だったのは「父にできなかったことを今目の前にいる大切な人たちにするべきだ」ということです。

私は父に対して、

「生んでくれてありがとう」
「育ててくれてありがとう」
「僕は今とても幸せです」
「今のこの幸せはお母さんとお父さんが作ってくれたんやで」

と伝えることができませんでした。

今私が好きな人と一緒にいて、その人との間に子どもができて、好きな人に囲まれて生きられてとても幸せだ。
ということを父は知らないまま亡くなってしまいました。

恩返しにフェラーリを買ってあげられるわけでも、海外旅行をプレゼントしてあげるわけでもないですが、想いや気持ちを伝えることはいつだってできたはずだったんです。

でも私はそれをしてきませんでした。
いつだって伝えられたはずなのに、ずっと自分の活動を応援してくれていたはずの人にそんな簡単なこともできなかったのです。

「人はいつか必ず死ぬ」

それがいつかは誰にもわからないです。
10年後かもしれないし、明日かもしれない。

生きていると自分や周りの人の命に対して鈍くなってしまうんですね。
そこにあるのが当たり前になってしまって、大切なことを伝えなくなってしまう。

「明日でいいか」と思っていてもその人との明日は約束されていないんです。

だから私は今目の前にいる大切な人に感謝の気持ちや「好き」だとか「愛してる」だとかはしっかり伝えようと思いました。
これが私が父の死から学んだことでした。

まとめ

身近な人の死は辛くて悲しいものですが、父の死は私にとても重要なことを教えてくれました。

人はいつか必ず死にます。
それはまだ先のことかもしれないし明日かもしれない。

だから伝えておきたい気持ちは「今」伝えないといけないんだということを知りました。

亡くなった人に何を言ってもそれは相手には本質的には伝わらないんです。
「ありがとう」と言っても、音が虚しく響くだけで何も返ってくることはありません。

亡くなった人にできることといえばその人を「忘れないこと」くらいです。
たまにでもその人のことを思い出して、その人との思い出を話すことができればその人の存在が完全に消えて亡くなることはありません。

きっとこんな拙い文章では私が父の死から学んだ重要なことのほんの一部しか伝わらないんだと思います。
でももしその一部でも伝わるのであれば今目の前にいる大切な人に気持ちを伝えてみてください。
そして大切だと思う人を大切にしてみてください。

きっとそれらはあなたとあなたの大切な人の人生を豊かにしてくれるはずです。

少し長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
この記事が誰かのお役に立てますように。

では素敵な人生を。

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