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テクノロジーの発達と危機。ロボットの発達によって、人が失うものとは。

みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。

今回は「人のこれから」みたいなテーマでお話してみようと思います。
近年、技術の進歩でAIとかもかなり発達してきましたよね。

それに伴って「無くなる仕事」みたいなものもささやかれていて、働き方や「人」のポジションも大きく変わってくるように感じています。

そんな中で人は人の役割や、これからの生き方にどう影響が出るのか、またどうやって生きていくのがいいんだろうか、みたいなお話が出来たらいいなと思っています。

テクノロジーの発達と人

round grey speaker on brown board
Photo by John Tekeridis on Pexels.com

最近飲食店に行ったら、ロボットが配膳してくれました。
「ロボットが通るよ!道をあけてね♪」なんて言いながら、店内の狭い通路を「ウィーン…」とか言いながらロボットが動き回るわけです。

私はそんな景色を見て、ほほえましいのと同時に「なんだかなあ」と思いました。

まあね、配膳なんてものは人じゃなくてもできるわけで、ロボットがやってくれることで、変なクレームが無くなるのであれば結構良いところだらけだとは思うんです。
でも、こうやってなんでもロボットが仕事をするようになると、人やお店の在り方も変わってきそうだと思ったんですよね。

極端にいうと「ロボットに仕事を奪われる」みたいなことに近いんですけど、「果たしてロボットに人の代わりができるのだろうか?」みたいなことも含んでいます。

これは私の独特な感覚なのかもしれませんが、店員さんの接客とか笑顔とか、コミュニケーションとか気遣いとかで「あ、なんかいいお店だなあ。」と感じることが多いんですよね。
それがそのお店を選ぶ理由にもなるというか。

ただ単に料理を食べに行くだけじゃなくて、「そのお店を選ぶ理由」みたいなものが人にはあるんじゃないかな?とかを思うわけですよ。

感謝が向かう先

a family eating at the table
Photo by Tima Miroshnichenko on Pexels.com

ロボットがいろんな仕事をしてくれるようになることは、実際ありがたいと感じる場面が多いです。
例えば、農作業だと田植えをしてくれる機械があるから、効率化ができたり人の負担を減らせたりするわけですよね。

全部人の手でやっていると、身体は壊すだろうし、現代だと「こんなしんどいもんやってられっかい!」みたいに感じる人も多くなるかもしれません。

そんな部分をロボットや機械が代わりにやってくれると、心から助かるわけです。
でも、田植えから収穫、納品や販売まで一括でロボットが代わりにやってくれるとなったらどうでしょうか。

そこに人の手は入らないどころか、「人」すら入らなくなる。
「全自動でお米が生産・販売される仕組みができたら…」みたいな話です。

こうなってくると、人との物質的・精神的な関わりが減りそうですよね。
生産者はロボットだし、その生産に関する思いも無ければ、大変さも無い。

感覚的な話でしかないんですが、なんとなくこの一連の流れから「ぬくもり」のようなものが消えてしまいそうな気がしました。

私はできることなら、形がいびつでもいいから「人の手で何かしらの想いのもとでつくられたもの」を消費していたいなと思っています。
なんというか「食べる」とか「生きる」ということに、大変さがなくなってくると、ありがたみも無くなってしまうと思うんです。

姿は見えないけど、目の前に出てきたご飯を通して「誰かが大変な思いをしてこのご飯をつくってくれているんだ」という感覚は、生きる上で大切な感情だと思うんですよね。

わたしが大切にしたいもの

two elderly women standing in the garden and smiling
Photo by Centre for Ageing Better on Pexels.com

もちろん大変さを目の前にしている人からしたら「外野の人間がなにを言うとんねん」と思われるかもしれませんが、「機械に頼るな」ということが言いたいわけではないんです。

ニュアンスとしては「機械に頼りすぎると、人生が味気ないものになってしまいそうだよね。」みたいなことなんですよね。

私としても、しんどいことはしたくないし、できたら楽をして生きていたいと思います。
なにもしなくても、ご飯が食べられて、住む場所があって、好きなタイミングで寝たり起きたりできたら、それは楽だろうなと思います。

でも、私はそんな生活を送りたいとはあまり思わないんですよね。

しんどくてもいいから生きた実感が欲しいし、大変さを通してでも感動したいと思っています。
なんというか、どれだけ世の中が便利になっても、生きることに直接関わる部分は人がやるべきだと思うんですよね。

食べ物をつくったり、なにかを育てたり、人と関わったり。
曖昧ではあるんですけど、そんなところはどれだけ世の中が便利になっても、大切にしたいなと思うんです。

世の中が便利になるにつれて、人との関わりとか関係性もどんどん変化していくようですけど、便利さによって人と人が離れて、ぬくもりが消えていくのは嫌だなあなんてことを思ったわけです。

まとめ

自分の子どもの頃と最近を比べたときに、大きく世界が変わったように思いました。
近所の人とはほとんど関わりが無いし、子どもが一人で公園に行くのも危ない気がしたり。

アナログなものがデジタルに置き換わっていくことで、人との関わり方は大きく変化しているように思います。
良いところもあるんですけど、良いところだけじゃないというか。

なんとなくモヤモヤした感情をここに書き出してみたという感じですね。

きっとこれは私独自の感覚で、「ぬくもりとかどうでもいいっしょ」みたいに感じる人も多いのだと思います。
ただ、私としては人との関わりの中で感じるいろんな感情を失いたくないなあと思ったわけです。

それでは今回はこの辺で。

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