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ストレスを感じやすい人へ。"禅"で生きるということをはじめてみませんか?

みなさんこんにちは。

私は最近”禅”についての本を読んでいるのですが、禅の中には人として生きる上で大切にしたいと思える考え方がたくさん詰まっていると感じたので、共有していこうと思います。

ストレス社会と言われる現代。
ストレスを感じやすい人に特に読んでもらいたいと思います。

ストレス社会を生きる人たち

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Photo by Claudia Barbosa on Pexels.com

私自身よく感じることではあるんですが、とにかく社会にはストレス要因がたくさんあります。

大きなことで言うと、不景気や増税とかもそうだと思うんですが、将来に対して安心できる状態にないというのは精神的に負担を感じますよね。
その他、SNSなんかを見ていてもいろんなストレス要因を目にすることがあります。

芸能人の不倫問題に対して過剰に反応する人がいたり、個人の発言に敏感に反応する人がいたりして何気なく言った一言が大事に発展していたり。
そんな状況を目にするたびに思うのは「不要に関わろうとしすぎじゃない?」ということです。

別に芸能人が不倫していたところで、自分の人生には本質的に影響を与えません。
なんなら不倫なんて一般人であろうが芸能人であろうが、やる人はやるわけです。

ただ有名であるが故にそれを"すごく大きな問題"のように取り扱って、いろんな人がそこに注目して時間を浪費しているように思います。

私はこんなとき「人の不倫どうこうより、自分の幸せを探した方がいいじゃない?」と思うわけです。
ストレスの発生要因にもいろんなことが挙げられますが、他人のことを気にしすぎているとか自分の人生に集中ができていないということが大きいように思います。

自分の人生に集中すること

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Photo by Natalie Bond on Pexels.com

自分の人生に集中するというのはつまり、自分を探すことであったり、自分の人生に気付くことだといえると思います。
ただ、自分の人生に気付くといわれてもいまいちよくわかりませんよね。
(大学生の頃、周りの子が「自分探し」と言って海外旅行に行っていたのをふと思い出しました。)

自分の人生というのは自分と向き合うことで見つかります。

それは例えば、自分の好きなことや好きな人について考えたり、自分のやってみたいことにとにかく向き合ってみたり。
そんな自分の感覚に従う時間によって"自分"の輪郭がはっきりしてくるわけです。

逆に言うと、誰かが良いと言っているものをただ身に着けたりすることでは自分の人生や自分は見つからないと思っています。
たとえば、流行っている音楽をファッション感覚で聴き続けたり、価値があるといわれているブランド物をとりあえず身に着けるような行為です。

もちろんそこに自分の感覚として"感動"のようなものがあれば良いと思いますが、「なんとなくこれをしていれば周りに置いていかれることは無いだろう」みたいな感覚の中で生きているのなら、方向転換をしたほうが良いと思います。

自分の人生を生きるために必要なのは、誰かの感覚や人生を生きることではなくて、自分自身の感覚と真摯に向き合うことだと思います。
ここらで冒頭の話に戻ろうと思いますが、自分の人生を生きるためには"禅"がすごく役立つと思うんです。

"禅"とは何か

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Photo by Raul Koženevski on Pexels.com

禅をことばで説明するのはとにかく難しいのですが、ザックリいうと"今この瞬間を生きるための哲学"です。

それは例えば食事であったり挨拶であったり、日常の中にある行為において"自分"と言うものを放棄して、ただその動作と一体になることを目指すみたいな考え方です。

呼吸なら、息を"吸って、吐く。"という行為を無感情に行います。
人は生活の中で様々な雑念を抱えるものだと思いますが、そういうものをすべて手放していきます。

「今何時だっけ?」
「おなかがすいたなあ」
「明日の仕事嫌だなあ」

みたいな雑念の一切を無視して、ただ呼吸や動作のみを行うわけです。

人は”自分"という確固たる存在があると信じ切っている節がありますが、禅の考えでは確固たる自分というものは存在しません。
時間が移り変わっていくように、自分も常に移り変わっていく。
感情が湧いて、消えていくのを見守る。

そこに感情というものを挟まないで、ただ目の前の"今"を生きる。というところに極意があります。

人はある意味で"自分"や"感情"によってストレスを発生させるものだと思います。

「自分の嫌いな人から嫌みを言われてイラっとした。」
みたいな事例があったとして、そこには"自分"と”感情"が存在していることに気が付くと思います。

"イライラする"という感覚は、もうすでに目の前にない感情を自分で追いかけているような状態なんですよね。
過去に起こった出来事を自分で追体験しにいっているわけです。

でも、本質的に"今"だけを見ることができれば、そこに継続的なイライラは発生しなくなります。
感情が湧いては消えていく感覚をただ静かに見守る。
目の前にある、その出来事だけに集中して、丁寧に生きる。

ストレスが溜まりやすい人というのは、過去に起こった出来事に執着してしまう性質があると思っています。
でも過去は過ぎ去ったもので、もう目の前にはありません。

目の前にない出来事にイライラして生きるよりも、目の前に展開している世界をありのままに受け入れて生きることが"禅"の精神に繋がっていくわけです。

まとめ

今回は禅について私なりに言葉にまとめてみましたが、"禅"とは自身の肉体と精神を通して実感するものであるのと同時に、知識や経験を通した体系的なものだと思います。

つまりは、実際にそれを行ってみることで感覚として理解していくものだというような話です。
きっとこの記事に書かれている情報だけでは"禅"は理解できないと思いますし、実際に試して、感じることが重要なんだと思います。

"禅"というと宗教感が強くて抵抗のある人も多いかもしれませんが、これは実践的な哲学です。
誰かを洗脳して、お金を巻き上げたりするようなカルト宗教なんかとは全く違って、人として人生を美しく生きるための哲学だと思っています。

まだまだ私自身修行中?の身ですが、またなにか気づきがあれば共有します。

それでは素敵な人生を。

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