やりたいことがない?生き甲斐が見つからない?それでも人生は展開される。

みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。

今回は「やりたいことがない」「生き甲斐が見つからない」というテーマについて考えてみたいと思います。
SNSや身近な会話の中でもよく耳にする悩みですが、みなさんはどうでしょうか?

一方、私はというと、やりたいことが山ほどあります(笑)
でも「やりたいことがない」と言う人の気持ちも、ちょっとわかる気がします。

「やりたいことがない」の正体

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「やりたいことがない」という人がいますが、果たして本当にそうなんでしょうか?

例えばですが、

・もっとお金が欲しい
・世界旅行に行きたい
・好きな人と暮らしたい

こういうのだって立派な「やりたいこと」ですよね。

じゃあ、なぜ人は「ない」と言ってしまうのかという話なんですが、「夢を口にするのが怖いから」だと思っています。

たとえば「絵で食べていきたい」と言えば「じゃあどんな絵を描くの?」と突っ込まれる。
「お金持ちになりたい」と言えば「で、そのために何してるの?」と問われる。

これが面倒だし怖いんだと思います。
だから「やりたいことがない」と言ってしまう。
でもこれって、すごくもったいないと思うんですよね。

やりたいことはやればいいし、夢は口に出せばいい。
周りの人がどう思うかより、自分が自分の人生に満足できるかどうかの方が大事だと思うんです。

もちろんすべての夢が成功するわけではないし、失敗してもそれはそれで経験になるはずです。
さらに極端な話ですが「できなかった」と言えるのは死んだときだけだと思っています。

自分が諦めない限りは何度でも挑戦できるだろうし、自分が諦めない限りはそこに明確は「終わり」はないはずです。

私の経験上、実際にやってみるとゴールは変わることが多かったです。
かつて俳優を目指して上京したとき、「思ってたのと違うな」と感じたこともありました。

こういうことからも、やっぱりやってみなければ「自分が本当になにをやりたいのか」なんてわからないんですよね。

生き甲斐は「意味を感じる瞬間」

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Photo by Daniel Xavier on Pexels.com

では「生き甲斐」についてはどうでしょうか。
私は、生き甲斐とは「自分の生きる意味を感じられる瞬間」だと思っています。

たとえば、自分の作品を見て誰かが喜んでくれたとき。
「あなたの作品に出会えてよかった」と言われたら、泣いちゃいそうですよね。

上記は一つの例ですが、私の場合、日常の中でその瞬間を感じるのは子育てです。
イライラすることも多いけど、子どもに「パパが一番好き」と言われたときなんかに「ああ、自分はこのために生きているのかもしれないな」と思うんです。

実のところ、私は「できちゃった婚」で父になりました。
当初は子育てなんて想像していなかったけれど、今は家族こそが私の生き甲斐です。

つまり、生き甲斐は「自分で見つけるもの」でもあるし「思いがけず与えられるもの」でもあるという話です。
だからこそ、動いてみないと出会えないのだと思います。

まとめ

やりたいことがない、生き甲斐が見つからない。
それは本当に「ない」のではなく、まだ「動いていない」だけかもしれません。

・やりたいことは口に出してみる
・興味があることはやってみる
・ちょっとした変化を生活に取り入れてみる

そんな一歩が、やりがいや生き甲斐につながるのだと思います。
人はいつか死にます。
だからこそ、今できることをやってみましょう。

みなさんにとって「生き甲斐を感じる瞬間」はどんなときですか?
もしよければ、一度考えてみてください。

それでは素敵な人生を。

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