みなさん、こんにちは。
今回は日替わりのお題について書いていきたいと思います。
本当に深いテーマです(笑)
普通に他の人の回答も気になっちゃいますよね。
それではちょっと考えていきたいと思います。
これまで犠牲にしてきたもの

なんとなくこのテーマを見てパッと思いついたのが「自分」ということでした。
「自分を犠牲にしてきた」というと、自己犠牲とかそういう言葉に置き換えられてしまうかもしれないんですが、そうではないです。
私の中の言葉をそのまま書き出すと「その瞬間における、自分が自分だと思っているナニカ」のことです。
これはつまりアイデンティティという言葉が近いかな?と思っています。
例えばですけど、自分のこだわりとかってありますよね。
私は30歳になるまでスニーカーはvansかコンバースの2択でした。
選んで買うときはこの2つのどちらかしか買ってこなかったんです。
でもあるときニューバランスのスニーカーを手に取ってみたんです。
それは古着屋さんで「安かったから」というのが理由だったんですけど、履いてみたら世界が変わるような感覚を覚えたんです。
「え、ニューバランスってこんなに履きやすいん!?」
そう感じました。
これが結構私のなかで衝撃だったんです。
ニューバランスのスニーカーって小学生の時に嫌いな先生が履いていたので「ダサい大人が履く靴だ」と思っていました。
今考えるとニューバランスの靴を作った人にも、ニューバランスを好んで履いているイカした大人たちにも失礼な偏見を持っていました。すみませんでした。
私は自分の中にある好き嫌いとか好みとかそんなものが自分のアイデンティティというか、自分を構成する重要な要素だと思っていたんです。
でもよくよく考えてみたら結構どうでもいいこだわりだったりします。
自分を構成していると思っていたこだわり、つまり「自分」を犠牲にすることによって、新たな自分が生まれているような感覚になったんですよね。
新たな自分

そんなこだわりから解放されて、新しい自分に気付いていきます。
今回のスニーカーの話でいくと、ニューバランスがきっかけで「俺はなにを変にこだわっていたんだろう」みたいに感じて、そこからはリーボックの靴とか買い始めています。
リーボックの靴も「この人生で履くことはないだろう」と20代の頃漠然と思っていた靴でした。
でも実際手に取ってみてびっくり。
今では一番お気に入りのスニーカーになっています。
こういうことはスニーカーの好みに限らずいろんな要素でも言えると思っています。
たとえば「行ったことがない場所に行ってみる」とか「やったことがないことをやってみる」とかそんなことです。
人は基本的に変化を嫌いますよね。
学生の頃は中学生になるのがなんとなく嫌だったし、学生が終わって就職をするのが嫌でした。
でも結局は自分を構成する要素が変わっていくというだけの話だと思ったんです。
自分がこれまで「自分」だと思っていたものは、ほんの一部でしかなくて、本質的なものではない。
何かをみて感じたりする意識こそが「自分」で、人生を通して身に着けた偏見や好き嫌いなんかは「着ている服が何色か」みたいな話でしかないんだなと思いました。
結局赤い服を着ていても、黒い服を着ていても自分なんですよね。
赤い服を着て「なんとなく心地悪いなぁ」と思うのも自分なわけです。
「今」の自分を犠牲にすることで、新たな自分が生まれる。
「今の自分」を脱ぎ捨ててみて初めて気付いたことでした。
「今」のわたし

こだわりとか好き嫌いを脱ぎ捨てたとしても、また新たなこだわりや好き嫌いはうまれてくるわけです。
そしてそんな要素が新たな自分を構成していく。
別にこれは悪いことではないと思っています。
それが人生で、その「自分」の変遷を楽しむことが人生の醍醐味でもあるのかな?なんてことを思います。
結局のところ、好き嫌いやこだわりをすべて捨ててフラットな一人の人間になった時、「個性」みたいなものは消滅すると思います。
別に今の私はそうなりたいわけではありません。
死んだら意識と一緒に個性が消滅してしまうので、「悟り」は死ぬそのときまで大事にとっておこうと思います。
私は私と言うフィルターを通していろんなことを感じています。
好きなものも、好きな人も、好きな音楽も、いろんな好きなものがあります。
嫌いなものもありますし、絶好調なときも、なんとなくうまくいかないときだってある。
でもそんな感じでいいんじゃないかな?と思っています。
結局そんな「今」もいつかは過去に変わって、脱ぎ捨てられていくんだと思います。
そしたらまた新しく生まれ変わって、その時の私がいろいろ感じればいい。
30年そこらの変遷でしたけど、犠牲にしてきた「自分」はたくさんありました。
受け入れがたいときもあったし、ワクワクするときもあった。
結局言いたいのは「いろいろあるけど人生って楽しいよね」って話です。
まとめ
犠牲というとなんだか難しいもののように聞こえますけど、人は毎日何かしらを犠牲にしながら生きています。
誰かに会うためには、誰かに会わない選択をしないといけない。
誰かと結婚するということは、その他の誰かと結婚しない選択をするということ。みたいな話です。
人生は選択の連続で、その選択から常になにかを感じ取って生きていくのが人間です。
それならば、自分の選択を心から楽しめるように気持ちだけ準備しておけば、未来はなんとでもできると思っています。
過去を悔んだり、自分の周りを羨んだりすることもあるかもしれませんけど、自分が羨んでいるその人も誰かを羨んでいるかもしれない。
人である以上、いろんな欲の渦に巻き込まれているわけです。
自分の「今」をみつめること。
自分の「今」と向き合うことさえできれば、周りなんてどうでもよくなったりします。
そんな人生のコツみたいなものをこれからも発信していきたいと思っています。
誰かの役に立ったなら幸いです。
それでは素敵な人生を。