みなさんこんにちは。
今回は日替わりのお題について書いていきます。
「これまで受け取った最高の贈り物について」です。
もうこんなものは決まってます。
「愛」ですよ、「愛」。
これまでの人生で受け取った最高の贈り物

私は4人兄弟の末っ子として生まれました。
私にとっては4人兄弟が当たり前で、それ以外の家族の形を当事者として経験することが無いので、特に自分の家族や環境に対して「ありがたいものだ」とも感じていませんでした。
しかしながら、大きくなるにつれて、自分の育ってきた環境がいかに恵まれていたかを知りました。
家族旅行に行った思い出があることや、兄弟がそれぞれに家庭を持った今でも、家族みんなで集まったりできること。
昔の思い出について話して笑い合えることが、こんなにも貴重なことだとは思いませんでした。
成長の過程で友だちの家庭の話などを聞くことがあります。
「兄弟姉妹とは口をきかない」とか、「もうしばらく話していない」とか。
「え、家族ってこんな感じなの?」と思うこともよくありました。
とにかく自分が育ってきた「家族」を振り返ったときに感じるのは、「楽しかった」という感覚なんですよね。
もちろん小さい頃は喧嘩もたくさんしましたし、「こいつら正気か」と思うこともたくさんありました(笑)
きっと今「自分も楽しい家族にしよう」と思えるのは、私自身が家族の時間を通して"愛"を受け取ってきたからだと思うんですよね。
例えば、私が親から無関心な家庭で育ったとしたら、家族の時間を振り返って「楽しかった」とは思わなかったはずです。
自分のことを想い、愛情を持って接してくれていたことを感覚的にわかっていたからこそ、その時間が心地よかったんだと、今ならよくわかります。
そこに"愛"があるか

私はいま「愛とは何か」と聞かれても、明確に言語化することはできません。
しかし、愛が何かは感覚的に知っているような気がしています。
愛は経験や体験を通して、心の奥から広がっていく、あたたかくて、優しくて、どこか切ない感情のことだと思います。
愛は強制をしないし、なにかを奪うことがありません。
それは与え、広がっていくものだと思っています。
愛は共感と受容性に満ちていて、一体的な性質をもつものです。
私の中の"愛"は上記のようなものなんですが、上記の性質を考えたときに「愛を知らない人は、愛を与えることができない。」ということが言えると思います。
愛を知らなければ、誰かにそれを広げることもできないし、自分がそれを受け取ったとしてもそれが”愛”だと気づきにくいのだと思います。
愛を知らなければ、そこに愛があるかどうかを知ることもできません。
私は自分にこどもが出来たとき、間違いなくそこに"愛"を感じました。
心の奥から広がっていく、あたたかくて、優しくて、どこか切ない感情。
自分自身が"愛"を与えられてきたからこそ、それを感覚的に"愛"と認識できたんだと思います。
自分の子どもを前にしたとき「この子のために何ができるだろう…?」と心の底から思えたこと、か弱いその命が一つの過ちによって失われることを、本能的に知って、切なくなるんだろうなと思いました。
私はこの世で最も偉大な発明があるとすれば、それは"愛"だと思っています。
愛は人を変えることができるし、愛は人を本質的に救ってくれるものだと思っています。
"愛"はどこまで広げていくことができるのか。

これは例えばの話なんですが、世界中の人たちが"愛"を同じように理解することができれば、世の中はもっと平和になるんじゃないかな?なんてことを思っています。
つまりは"愛を広げていくにはどうしたらいいか。"というようなことです。
世の中を見ていると、怒りや憎悪に満ちていると感じることが少なくありません。
自分の人生に関係の無い人を攻撃したり、自分の欲求のために人を気付つけたり、奪ったり…。
そもそも土台の感覚として、人は誰かを傷つけたり、奪ったりする行為から離れるべきだと思っています。
AIが進化しようが、西暦が何年になろうが、自分の感情や行動をコントロールできないうちは文明に意味などありません。
そしてそれができないうちは、本質的に愛を知ることは無いだろうし、「世界に平和も訪れないんだろうな」と思います。
なので私は、感覚を共有できる、自分の手の届く範囲の人だけでも愛したいと思っています。
まだまだ、全てを受け容れ「一体的」には遠く及ばない"愛"ですが、手探りでも、自分の知る"愛"を言動に起こしていくことが大事だと思うんです。
自分や、自分の愛せる人だけを愛する。
まずはそんなところからなのかな?と思うんですよね。
まとめ
なんだかめちゃくちゃ”愛”について書きました(笑)
でも、この"愛"は私だけでなく、人類のテーマでもあると思っています。
それがなにかを知ることや、それを人生を通して体現していくこと。
そしてこれは、何かや誰かを強制するようなものでは、決してないと思っています。
「これは愛情だから、こうしなさい。」みたいなものは愛とは思いにくいですよね。
世の中にはいろんな宗教観がありますが、それが愛に満ちたものか、利己性に満ちたものかというのも、宗教観を判断する一つの指標のようにも感じました。
それでは素敵な人生を。