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お金よりも時間が欲しい。目の前の「お金」を犠牲にする決断をした話。

みなさんこんにちは。

今回は人の生活に密接している「お金」の話です。
最近まで副業をしていたんですけど、つい先日それを辞める決断をしました。

ここについてどういう心境の変化があったのかをお話してみようと思います。

目の前にある「お金」

person counting cash money
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私はつい最近まで副業をしていました。
内容は企業のSNSの運用を代行するようなものなんですけど、隙間時間にできることが魅力だったのでしばらく続けていました。

ただ、どこかのタイミングからか負担感が増してくるように感じたんですよね。

多分依頼者側からすると「これくらいやってくれるよね?」みたいな感じで言ってくることだと思うんですが、そこには実際的な労力が発生するし、いろいろ考えることも増えるし、だんだん費用対効果が目減りしていくのを感じていました。

仕事とかでも、役割や責任はどんどん増えるのに、給料が上がらないことがあると思うんですけど、極端に言うとそんな感じです。

とはいえ、私にとっては「その副収入がある生活」がベースになってしまっているので、なんとなく「辞めるものなあ~」みたいに思っていました。
つまりは副業に対して悩む時間が増えてきたんですよね。

お金と交換で差し出しているもの

photo of a woman thinking
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一般的にはお金を稼ぐために差し出すものとして、「労働」とか「時間」というものが挙げられると思います。

私が行っていた副業についてはそれぞれそこまで負担感が無かったので続けていたんですが、それ以外に副業について悩むことが増えてきていました。
仕事について悩むということは、ある意味でいうと「自分のプライベートの時間を犠牲にしている」とも言えると思います。

つまりは、「悩みなどには精神的はコストが存在する」という考え方です。

何かに悩んでいる時とかって、結構疲れますよね。
なんとなく日常生活に気が入らないような気もして、「なんだかなあ~」みたいな感覚を持ち続けた状態で生活を送ることだってあると思います。

わかりやすくいうと「その仕事にストレスを感じているかどうか」みたいな視点になるんですが、お金と引き換えに自分の精神エネルギーを差し出していることに気が付いたんです。

そう感じたときに「あ、これ割に合わないわ。」と思って、辞めることを先方に伝えました。

人生におけるお金の重要性

a man and a woman playing with a child in the bedroom
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人は生活の中で当たり前のようにお金を稼ぎますよね。
そして、お金によって生活を成り立たせています。

お金がないとご飯も食べられないし、娯楽も手に入らない。
なにをするにも「お金、お金…」なわけです。

でも、そのお金を稼ぐために、自分が大事にしたいと思っているはずの幸せな時間が奪われているのであれば、本末転倒だと思ったんです。

私は家族との時間を楽しみたいとか、将来自分や子どもたちが不自由なく暮らしていけるように、副業とかを行っていたんですが、それによって本来手の中にあったはずの幸せな時間を犠牲にしてしまっては意味がないんですよね。

もちろん、仕事をする上で我慢は必要だと思います。
それは労働時間の長さであったり、職場の人間関係だったり、金銭的なものだったり、いろいろあるんですけど、お金のために自分が本当に大切にしたいものや時間を犠牲にしてはいけないと思ったんです。

私の場合だと副業だったので、比較的すぐに決断することができました。
でも本業だとなかなかそうスムーズに決断することはできませんよね。

そういう意味でも、会社とか「組織に依存して生きる」という感覚から抜け出したいと思っています。
自分にスキルがあれば、自分にお金を稼ぐ力があれば、いろんなものを天秤にかける必要もなくなるので、「ちゃんと毎日目標に向かって頑張らないとなあ」と改めて思ったわけです。

まとめ

なんだかんだで副業で身についたこともたくさんあって、個人的にいい経験が出来たと思っています。

でも私自身にもやりたいことがたくさんあって、なかなかそれを消化しきれていない感覚があったので、今回の決断は間違っていないと思っています。
お金って厄介な存在ですよね。
というかそれが無いと生きられないという仕組みになっている、社会が厄介なんですけどね。

真面目に働いて、税金を納めさえしていれば食べることや住むことには不自由ない社会になってほしいものです。

それでは今回はこの辺で。

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