みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。
今回はお金の使い方を知ることが、仕事や人生の価値を変化させていくというようなお話をしていきたいと思います。
最近、私自身が仕事について悩んでいる時期ということもあって、記事の内容が仕事やお金に偏りがちです。
もし、仕事やお金についての悩みを抱えている人がいれば、読んでみてもらえると嬉しいです。
お金の価値

最近、私は「お金って、邪魔だなあ。」と感じることが多いです。
一般的に考えると「なにを言っているの?」という感じだと思うのですが、お金というシステムや存在に縛られていると感じることが多いんですよね。
極論ですが、私の考えとして「お金そのものには価値が無い」と思っています。
お金は何かと交換して、交換した先で得るものによって価値を得るためのツールなわけです。
例えば、10000円は物質的に見ればただの紙ですよね。
でも、その10000円によって、「いろんなものと交換できる」という信頼を抱えているから価値があると考えられているわけです。
何が言いたいかというと「価値があるのはお金そのものではなくて、お金と交換した先にある、体験や幸福などである。」というようなことです。(大事なことなので2回いいました)
お金の使い方

大人になってから感じたことですが、子どものころと比べて大きくお金の価値や使い方が変わったような気がしました。
昔は100円あれば贅沢できたのに、今は「100円だとなにもできない」という感覚になっています。
これは「お金を手に入れることが子どもの頃に比べて簡単になった」ということが理由としてあると思うんですが、それによって「自分の人生の価値が下がっていないかな?」と感じたんですよね。
たとえばですけど、月に20万円稼いでいるとします。
そして、それが継続すると20万円稼ぐことに慣れますよね。
人は慣れたときに「ありがたみ」のような感覚が失われると思うんですが、私はあるとき「まだあるからいいや」みたいな感覚になって、お金の使い方が雑になっていることに気が付いたんです。
別に食べなくてもいいお菓子を買ってみたり、見もしない、使いもしないサブスクに継続的に課金していたり。
でも、あらためて考えるとそのお金は自分の時間(命)を使って稼いだお金なんですよね。
つまるところ、労働によって得たお金の使い方が雑になるということは、自分の命を雑に使っているという見方もできると思っています。
お金は幸せになるためのツール…?

極端な話ですが、お金が無くても人は幸せになれると思っています。
たとえば、食べるものがあって、好きな人がそばにいて、健康に活動することができる体があれば、それだけで十分なんじゃないか?と思っています。
でも、社会で生きるためにはお金が必要になりますよね。
家を持つことにも、収入を得ることにも、どこかに住むことにも「税金」が発生します。
一般的な感覚として「お金があれば幸せになれる」みたいな感覚になっているかもしれませんが、私としては全くの逆で「お金によって本質的な幸せが霞んで、苦しめられているような感覚」になっています。
だからといって、社会にお金というシステムが根付いている以上、私もお金からは逃れられないわけですが、なるべくお金に頼らない生活ができれば、半身だけでもお金から逃れられるんじゃないかな?と思っています。
なんとなく欲しいものではなく、本当に必要なものを買う。
同じお金(1000円など)でも、別の使い方を考える。
そんな習慣が身につけば、「お金はあんまりなくてもいけるんじゃない?」という感覚になってきます。
お金の必要量が減れば、自然と仕事に費やす時間も減らせますよね。
時間が増えれば、自分にあった幸福の形を追求していくために時間を使えるようになる。
そう思うと、お金の使い方が変われば、人生の価値も大きく変化して生きそうだな。ということを感じるわけです。
まとめ
これは私個人の感覚なんですが、子どもができてからお金の使い方が大きく変わりました。
例えば、「500円でなにをするか」みたいなことです。
独身の頃は、何も考えず「個人の楽しみ」を買っていたんだと思いますが、今では「500円あれば、家族みんなでスイーツを食べる時間をつくれるんじゃない!?」とかいう考え方に変わっています。
私が500円から得る個人的な幸福感よりも、家族(子ども)の笑顔や「パパありがとー!!」という言葉の方が価値があるんですよね。
ここについては個人差があると思いますが、お金の使い方によっては、人生そのものから得られる価値も変化するというお話でした。
この記事が誰かの参考になれば幸いです。
それでは素敵な人生を。