みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。
我が家は月に一回を目安に、家族で外食に行くようにしています。
(多分、少ないですよね…?)
外食を月に一回にしている理由は、「お金に余裕がないから」ということが一番なのですが、その他にもいろいろ意味があったりします。
その中で「お金と交換でやりとりされる価値」について考えたので、社会で働く人たちの参考になれば嬉しいです。
月に一回の外食から得られる満足

前段でも述べたように我が家では月に一回、外食に行くようにしています。
外食って高くつきますよね。
我が家は4人家族ですが、一食で4~5000円かかることもあるので、頻繁には行くことができません。
なので、毎月外食をするときは家族会議が開かれます(笑)
「今月はなにを食べようか」
「なにか食べたいもの、ある?」
とかそんな感じでみんなで意見を出し合います。
そして大体多いのは、ラーメン、回転寿司、揚げ物が食べられるお店ですね(笑)
家で頑張って作ったとしても「なかなかそのレベルに達することができない」ようなものを、外食に求めている気がします。
外食はエンターテインメント

昔は外食についてあまり深く考えることも無かったですが、最近は一回の外食についてもいろんなことを考えるようになりました。
単に「おいしい料理が食べられるかどうか」だけでなく、接客やお店の雰囲気や、自分たちがそのお店を出たときに「また来たい!」と思えるかどうか、みたいなことです。
独身の頃は自分一人の食事を賄うために利用していた部分があって、あまり深くも考えなかったんですが、家族みんなで外食に行くとなると、それなりに費用もかさむわけです。
なので「トータル的に満足できるか」みたいな視点になってしまうんだと思います。
そこで食べる料理そのものもそうだし、お金を支払って得られる体験そのモノが満足のいくものだったかどうか、というような考え方で「外食はエンタメ的な要素もあるなあ」と思ったんですよね。
お金と交換で得られるもの

飲食店という見方をすると、「おいしいかどうか」みたいな考え方が一般的だと思うんですけど、そこにはいろんな要素が含まれているんですよね。
働いている従業員さんの接客もそうだし、お店のレイアウトとかもそうだし。
外食は、いろんなものを複合的に組み合わせて提供される、一つの「体験」だと思うんです。
そんなことを思ったときに、「自分が誰かからお金をいただく時、それに見合った体験を提供できているかな?」ということを考えました。
私も普段「働く」ということをしているわけですが、そこにはお金をいただくという動きがあるわけです。
基本的には「〇時~〇時で働く」みたいな、時間の切り売りのような考え方が一般的なんですが、きっとその考え方をしているうちは、突出したなにかを自分j自身が提供できるようになることは無いんだろうなと思いました。
自分が提供できる価値

会社という組織に属していると「自分が提供できる価値」みたいなことを考える機会はあまり多くないと思います。
基本的には「やらないといけないことをやる」という感じで、そこに向上心のようなものをもたなくてもやっていけることが多いのかな?とか。
でも、私はゆくゆくは独立したいと考えているので「自分が提供できる価値って、なんだろう?」みたいなことをよく考えます。
社内においては、自分が活躍できる幅を広げるとか、自分にしかできないことをするとかですね。
そして、社外においては、自分たちのサービスじゃないといけない理由を提供する。みたいな感じです。
世の中にはいろんなモノやサービスが溢れているわけですが、その中で生き残ろうと思うと、独自性を持たせたり、自分のサービスに唯一無二の価値を乗せないと競争に生き残れなくなってしまうと思うんです。
たとえば、「安さ」を価値にしてしまうと、それは価格競争になってしまって、価値競争ではなくなるんですよね。
なので、金額以外の視点で「自分にはどんな価値が提供できるのか」とか「このサービスにはどんな価値があるのか」を考えることはとても有意義だと思ったというお話です。
まとめ
今回は外食の話を例にしたんですけど、極端に言うと「お金と交換するもの」すべてに当てはまる話だと思います。
そのお金は、自分が時間(命)をエネルギーを使って稼いだお金なわけですが、それを無駄にしてしまいたくはないですよね。
同じ1000円でも、使い方によっては、満足のいく結果が得られるかもしれないし、不満足に終わるかもしれない。
大人になると、お金の使い方が若干雑になっているような気もしたので、改めて身の回りにある価値について考えるきっかけになったように思います。
この記事が誰かの参考になれば幸いです。
それでは素敵な人生を。