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「禅」という生き方。人生の最善を選択する方法が禅にあった…?

みなさんこんにちは。

最近、禅について書かれた本を読んでいます。
そんな中で「あれ、これって突き詰めたら人生の答えになるんじゃない?」と感じたのがこの記事を書こうと思ったきっかけです。

スティーブ・ジョブズも影響を受けた「禅」

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Photo by Armand Valendez on Pexels.com

禅の考え方、というか生き方はいろんな著名人も影響を受けているようです。
(スティーブ・ジョブズも禅の影響を受けたことで有名ですよね。)

基本的な考え方として「今この瞬間に集中すること」が禅の土台部分にあります。
人は常にいろんな情報や感情に巻き込まれながら生活していると思いますが、禅では自分の目の前に展開している、あるいは自分の内側に展開している「ただその一点」に集中します。

ただ座ることや、自分の内側に展開する「ただその一点」に集中することが、一体何になるというのでしょうか。

「今」という点

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Photo by Tran on Pexels.com

みなさんの周りには時間がありますよね。(あると考えられていますよね)
時間という概念は過去、現在、未来の3点のつながりによって形成されています。

過去から現在につながり、現在の蓄積が未来を形成していく。
でも、禅の思想には過去も未来もありません。
現在、つまり「今」だけが存在します。

みなさんは当たり前のように、過去から未来に変化していく時間の中に「自分」という確かな存在があると感じているはずです。
禅ではそんな「自分」すらも脱ぎ捨てていきます。

目の前に広がる「今」という一点に集中する。
感情とか予定とか不安とかそんなものも脱ぎ捨てて、「今」という一点に溶けていくような感覚だと思います。

雑念から解放された時、なんとなく心の中に凪を感じます。
あらゆるものが目の前を通り過ぎていくだけの存在になって、ただそれを静かに眺める。
そんなときに、これまで当たり前のように展開していた「今」と「自分」という存在に感謝の念が湧いてきます。

とはいえこれらは私の実感を言語化したものなので、本質とはまた違います。
禅とはつまり感じること。
ただ、今という瞬間を感じることに極意がありそうです。

日常にある「禅」

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禅は静かにじっと座っていないとできないことではないと思っています。
例えば、食事や掃除、挨拶や会話の中にも禅はあります。

目の前の行為や時間に対して、いかに「自分」を空にして向き合うことができるか。
そんな心に禅はあるんじゃないかなと思っています。

これは人との会話を大事にするとか、人そのものを大事にするとか、モノを大事にするとかそんなことに繋がってきます。
欲とか感情というものは「自分」を軸にして発生してくるものだと思います。
自分の都合とか事情とかが絡み合って、いろんなものの見方を変化させているわけです。

そんなものを脱ぎ捨てて、ただ目の前にある物事と真っ直ぐに向き合う。
そんな心を持つことができれば、人やあらゆる物事を大切に扱うことができるようになると思いました。

自分を空にして目の前に広がる「今」に向き合う。
これはきっと現代という「情報過多な今」を生き抜く答えなんじゃ無いかな?と思ったわけです。

まとめ

そんなことを最近改めて感じて、少しずつ実践しています。
でもこれが結構難しい。

予定は頭をよぎるし、「眠たい」とか思い始めると、あらゆる動作が雑になります。
これはある意味で日常や社会に縛られているからで、本質的にやらないといけないことがはっきり見えた時にそんなしがらみからも解放されるのかな?なんて思っています。

まだまだ禅を生き方に落とし込めてはいませんが、実践することで感じられることも多いはず。
またその中で良い気づきがあればみなさんに共有したいと思います。

それでは素敵な人生を。

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