こんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。
今回は日替わりのお題について書いていこうと思います。
ずばり「なにかを恨んでいるか」。
生きているといろんなことが起こるので、時として「恨み」というネガティブな感情が発生することがあります。
恨みをもっているか

まず、私が恨みをもっているかという話なんですが、特に何も恨んでないんですよね(笑)
「いや、話終わってまうやん」と思われるかもしれないんですが、ここにはきっかけというか理由みたいなものがあったりします。
実はというか、私はあるとき一人の人間を恨んでいました。
それは昔の恋人だった人なんですが、長く尽くしたつもりだったのに、結構ひどい裏切りを受けたんですよね。
当時、それはそれは恨みました(笑)
自分がその人にかけてきた気持ちや、行動、時間など、すべてを馬鹿にされていたような気がしたし、「時間を返せ」とも思いました。
怖い話ですが、死は全く望まなくて「生きて不幸になれ」と思っていました。
我ながら恐ろしいことです(笑)
でもある時、ふと感じたんですよね。
「この感情は果たして自分のためになっているのだろうか」と。
恨みは自分の未来を犠牲にする行為

人を恨んでいる時って、ネガティブな意味でその人のことを考える時間が多いと思います。
でも嫌いなはずの人に時間を使うのって勿体ないし、悔しいじゃないですか。
本来ならその時間を使って、好きなことが出来るかもしれないし、幸せを感じられるかもしれない。
そんな可能性を持った時間を使って、自分の嫌いな人の不幸について考えているわけです。
その事実に気が付いたときに「もうやめよう」と思いました。
私がいくら嫌いな人の不幸について考えたところで、直接自分が手を下すわけでもないので、何かが変わることもないんですよね。
別に許すわけでもないですけど、恨むくらいなら、自分のこれからの人生から消してしまった方が楽だし快適だということに気が付きました。
生きたゾンビにならないために

恨みを持ち続けているとき「まるで俺はゾンビだな」と思ったことがありました。
希望なのかなんなのかわからないものに縋りつくようにして、ただあてもなくこれからの時間を漂うんです。
恨んでいた人が仮に不幸になったところで、私が幸せになれるわけではないんですよね。
もしかすると一時的に「バチが当たった!ざまあみろ!!」みたいなことを思うかもしれませんが、それを感じたところで空しいんですよね。
だから、忘れてしまえばいいんです。
恨みも恨みの対象も、自分の人生から消し去ってしまえばいい。
そして自分の人生から恨みの対象が消え去った時、きっと本当の意味で自分の人生を生きられるようになるのだと思います。
まとめ
この記事を書くに至って、超久しぶりに昔の恋人のことを思い出しました。
今では全く恨みもないし、普段の生活の中で思い出すこともないんですよね。
極端なことをいうと、その人が不幸になっていても、幸せになっていてもどっちでもよくなっています。
その分?かどうかはわかりませんが、私自身が幸せに生きられているし、私の大切な人の幸せを願うことができている。
さらにいうと、自分の大切な人たちを幸せにするために、生きることが出来ている。
これが私にとっては快適だし、私にとって正しい形なんだと思います。
もし恨みを持っている人がいるのなら、できるだけ忘れちゃいましょう。
忘れられないほど深い恨みもあると思いますが、恨みはこれからの人生を犠牲にするほど、強いものです。
人の不幸のためにいきるのか。
自分を含め、誰かの幸せのために生きるのか。
今一度考えてみるのもいいかもしれません。
この記事が誰かの参考になれば幸いです。
それでは素敵な人生を。