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「恋愛」と「幸せ」。好きな人と結ばれることが「幸せ」とは限らない…?

みなさんこんにちは、涅槃ぶろぐのモロです。

最近恋愛相談のようなものを受けました。
(かなり珍しい)

その時に、「恋愛と幸せ」みたいなことを自分なりに考えたので、その内容を皆さんにも共有していきたいと思います。

自分の幸せは誰がつくる?

people on sidewalk selective focal photo
Photo by Cameron Casey on Pexels.com

みなさんは「この人がいないと幸せになれない!」みたいな感覚になったことはありますか?
私は現在、家族がいて幸せを感じる場面がとても多くて、家族によって幸せにしてもらっている実感があります。

その中で「家族があるとき急にいなくなってしまったら、どうしよう。」みたいなことを考えます。

はたして、私は「家族のいない人生に幸せを感じられるのか」みたいなことですね。
結論から言うと、私は家族のいない人生にも幸せを感じることが出来ると思っています。

そして、家族が私のもとにずっと留まってくれる存在だとも思っていません。
(なるべく離れたくないとは思っていますけど)

あくまで、私の人生の主人公は私自身で、「私を幸せにできるのは私自身だ」と思っています。

外の世界に幸せを求める

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Photo by Khaled Reese on Pexels.com

生きていてよく感じるのが「自分の手の中にないものに、幸せを見出そうとしていることが多いなあ」ということです。

たとえば「お金があれば」「結婚出来れば」「持ち家があれば」など、「たら・れば」で自分の目の前に広がっている世界の外に、自分を幸せにしてくれるものがあると思ってしまうんですね。

でも、私としてはこの性質を持っている限り、本質的に幸せになることは難しいと思っています。
何かを手に入れたとしても、それに飽きてしまえば、次なるものを求めてしまう。

自分の心の中に渇きを与えている原因が「ナニカを手にしていない状態」だと思い込んでいるので、常に不足を感じてしまうんだと思います。
自分以外の何かが常に羨ましくて、「欲しい」「これがあれば…」なんてことを考えてしまうんですよね。

基本的に人はそういう性質を持っていると思います。
でも、これではきっと幸せになれないはずです。

常に何かを求めて生きているうちはなかなか幸せにはなれない。
それなら一体、幸せはどこにあるのか…?

幸せの在り処

a couple in traditional attire standing in front of an elephant
Photo by HANUMAN PHOTO STUDIO ️ on Pexels.com

仏教のことばで「知足(ちそく)」というものがあります。
これはつまるところ、自分の境遇や得ているものに満足したり、「自分が今満ち足りていることを知る」というようなことです。

人は慣れる生き物で、次から次へとどんどん要求がエスカレートする生き物だと思っています。
例えば、「経済的に1日1食しか食べられない状況」があったとして、誰かの支援によって「1日2食食べられるようになった」とします。

でも、「周りの人は当たり前のように1日3食食べている」という状況を知ったなら、3食の生活を望むようになるんですよね。

昔は1日1食が当たり前で「1日2食だったら…」なんてことを思っていたはずなのに、1日2食の生活に慣れるとそれが当たり前になってしまう。
周りと比べて、自分が足りていないように感じてしまう。

でも、そうではないはずなんです。

自分よりも豊かな生活を送る人は、常に存在しています。
でも、その人がいることによって、自分は不幸にはならないはずなんですよね。

大切なのは、自分の目の前にある状況に対して「幸せを感じる」ことだと思います。
幸せは常に自分の中にあって、自分にしか感じられないものです。

周りがどうとかは関係が無くて、自分の中にある「幸せ」という感覚に向き合うことが大事なんだと思うんですよね。

幸せを感じる

woman sitting on grass by lake
Photo by Kaique Rocha on Pexels.com

私は大体いつも幸せを感じながら生きています。

これは私なりの考えですが、健康な精神と肉体があれば、幸せを感じられる。
心と体があれば、幸せを感じることが出来るはずだと思っています。

別にそこに恋人がいなくても、お金が無くても、幸せになれるはずです。
私としては「知足」は、「いま、生きている」ということで、生きているということは、可能性に満ちたものだと思っています。

たとえ、今が辛くても、自分の考え方と行動次第で幸せにもなれるはず。

自分がどういうメカニズムで幸せを感じるのかが見えたとき、幸せは常に自分の中に存在するようになります。
周りのことがいい意味でどうでもよくなって、自分の精神が安定していくような感覚になると思っています。

まとめ

「恋は盲目」なんて言葉があると思いますが、本当にその通りだと思うんですよね。

「その人がいれば」とか「その人さえ手に入れば」なんてことを考えたりもすると思うんですが、これは誰かに自分の幸せを委ねてしまっているような状態で、きっと本質的な幸せとは離れている状態なのだと思います。

たとえ家族と言えども、自分以外の他人なわけで、自分の思い通りになんてできません。
自分に魅力が無ければ、離れていくこともあるだろうし、自分に力が無ければ失ってしまうこともあると思います。

だからこそ、目の前にないものに目を向けるのではなく、目の前にある今や状況や人を大切にすることが、自分を幸せに導くヒントになるんじゃないかな?なんてことを思いました。

すこしややこしい話ではありましたが、誰かの参考になれば幸いです。

それでは素敵な人生を。

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